駅まで歩きながら桜は、明日の朝7時半に家を出るまでのシミュレーションをする。
急いで帰って、しっかりメイクを落としてお風呂に入り、スキンケアをして、マッサージをして…。ダメだ。やはり寝るのは12時をすぎてしまう。7時間睡眠は確保できなそうだ。
ーハァ…。睡眠不足で明日のメイク浮かないかなぁ…。
桜は大きくため息をつくと、先ほどの打ち上げでの会話を思い出す。
太一も千里も、冗談のように美容第一の桜を笑っていたが、桜にとって「かわいい自分でいる」ということは、日々の仕事のモチベーションを保つために大切なこと。
美容タイムと睡眠時間の確保は、必要不可欠な仕事の下準備のようなものなのだった。
ーそれなのに…。
褒められるたびに桜の胸をチクリと痛ませる、違和感。それは、自分が仕事のために大切にしているルーティーンを、「女子力」や「男性にモテそう」という言葉で表されてしまうことに対する、失望にも似た気持ちだ。
ムキになって否定することでもない。そう思っているため笑って対応するが、自分でもどう受け止めれば良いのか、桜は分からないままでいた。
―ダメダメ。褒めてもらってるのにモヤモヤしちゃうなんて。こんな風に受け止める私は、かわいくない!
かわいい自分でいるために、桜は慌てて頭を切り替える。
こんな日だからこそ、新しいバスソルトを贅沢に使おう。そう決めて桜は家路を急いだ。
翌日、桜は部署の誰よりも早く出社し、白衣に着替えて仕事の準備を始めた。
昨日は広報の仕事のために少々早く抜けているので、朝早く出勤するのがせめてもの埋め合わせのつもりだった。
自社商品のPRのために頑張っているのに、顔出しする仕事をよく思っていない社員もいる。目立ちたがり屋と嫌味や影口を言われることもあった。
だからこそ、本業には手を抜きたくない。
「笹本さん、おはよう」
声をかけて来たのは、課長の堀内利恵。苦手な上司だ。
「おはようございます」と、返事をするやいなや、いちいち何かしらの苦言が始まるのだ。撮影の仕事に対する“提言”か、言動やファッションに対する“アドバイス”。朝の挨拶代わりの苦言に、毎日気が滅入る。
今日は何を…と思って桜が小さく覚悟を決めると、堀内は予想外のことを言い出した。
「新しく出向でいらっしゃった会計士さん、あなたのこと知ってるって言ってたわよ。総務の方でたまたまお会いして笹本さんの話題になったの」
「え?会計士さん?」
「雑誌やインターネットで笹本さんの名前を見て驚いたって。中学高校の同級生って伺ったわ」
思わず、気が遠くなる。桜は焦る気持ちを抑えながら質問を重ねた。
「…誰ですか?」
「石川さんっていう女性よ。ええと、石川夏希さんっておっしゃったかしら。背が高くて、美人で、宝塚のスターみたいな方だったわよ」
「石川夏希…さん…。覚えてます、もちろん。」
その名を聞いて、目眩がしてきた。石川夏希。美人で頭も良くて、スポーツ万能な学校1の人気者。ヒエラルキーのトップ、あの石川夏希だ。
それ以降、堀内の話は頭にまったく入って来なかった。なんとしても、一刻も早く夏希と会わなくては。その思いだけが頭の中をぐるぐると回りはじめた。
そして昼休み。
総務部から経理部、社員食堂を駆け回って、ついに中庭で石川夏希の姿を発見する。
彼女は陽のあたるベンチで、一人でサンドイッチを食べていた。
姿を見かけるやいなや、桜は走って駆け寄る。
「な、夏希ちゃん!」
思わぬ形の9年ぶりの再会。
彼女のことをなんと呼んでいたかさえ思い出せないが、思わずそう呼びかけていた。
当時と変わらないすらりとしたスタイルと、小さな顔にショートカット。キリッと整った眉が凛々しく、鼻筋の通った美人だ。
一方の夏希は、桜の姿を見て目を丸くする。そして、嬉しそうに笑い出した。
「やっぱり、桜だ。久しぶりだね。こんなところで会えるなんて。監査法人から出向できたの。桜、大活躍してるみたいじゃん。」
そう微笑む夏希の涼しげな笑顔は、9年前からまるで変わっていない。
桜はため息をつきながら、夏希の隣に並んで座った。
「夏希ちゃん、全然変わってない…」
「そう?10代の頃から変わらなすぎるのも、どうかと思うけど」
夏希は首をすくめ苦笑いをする。そして改めて桜の方を見ると、感心するように言った。
「それにしても、桜はずいぶん…」
夏希がそこまで言った時、桜は勢いよくベンチから立ち上がる。
「…何よ、いきなり」
戸惑う夏希に向かって、桜は懇願するように情けない声をあげた。
「おねがい!昔のことは誰にも言わないで!」
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再会した高校の同級生の二人。女の子らしいものが好きな桜と、そうではない夏希。正反対の二人の距離感は縮まっていく…?
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