6年制の薬学部出身の桜は、入社3年目の27歳。
小さな頃から勉強熱心で大学でも優秀な成績を収めた桜は、物心ついたころから“リケジョ”としての毎日を過ごしてきた結果、晴れて憧れの化粧品ブランドへ入社したのだった。
「桜さんは、本当に努力家ですもんね」
「そんなそんな、私は不器用なので人一倍頑張らないと結果が残せなくて。でも、たしかに昔からものすごく負けず嫌いだったかも。小学生の頃からテストで100点が取れないと、泣きながら勉強するタイプでした。変わり者ですよね」
桜の言葉をノートパソコンに打ち込んでいく編集の岡田千里と、ちょっとした表情の変化も見逃さずにシャッターを押すカメラマン。
舞台は夕方のレストランのオープンテラス。通りすがりの人たちの眼差しにはなかなか慣れないけれど、こうした取材を通して自分の思いを言葉にすることに、この頃はやっと楽しさを感じるようになってきた部分もある。
「桜さん、こっち本業の方が良いんじゃないですか?」
冷やかすようにいうのは、代理店でこの企画を担当している新山太一だ。編集の千里も、同行しているカメラマンも太一に賛同するように大きく頷いた。
「やめてくださいよ。私はあくまでも、いち研究員ですから」
桜が照れながらも真顔を装うと、その愛らしさに空気が和んだ。その様子を見て、千里はインタビューの質問を続ける。
「では、今日は桜さんおすすめの美容に良いデザートをご紹介していただけるとのことですが」
「はい。ここのレストランの限定デザートなんですが…」
―すべては自社商品のプロモーションのため。
桜はそう割り切って顔出しの取材に応じてきた。一人でも多くの肌に悩みを抱える女性に届きますようにと、いつでも祈るような気持ちだった。
取材が終わった夜。桜と太一、そして千里の三人は、軽い打ち上げと称して近くのスペインバルへ来ていた。桜は「すみません」と店員を呼び止めると、ノンアルコールドリンクを注文する。
その様子をみとめた太一が、軽い口調で桜に尋ねた。
「あれ?桜さんお酒は?」
「平日はいただかないようにしているんです。楽しくなって飲みすぎると翌日辛いので」
桜は、二人に交互に笑顔を向けながら話す。
「じゃあ、桜さんをデートに誘っても酔っ払ってる姿は見られないってわけね。男性陣は口説き落とすの、苦戦しますね」
千里が、わざとおどけるように言った。
「お誘いなんて、全然ないんですよ」
「またまた」
桜が頰を赤らめて謙遜すると、太一が深く頷く。
「たしかに誘いづらいです。だって、桜さん、“私7時間は寝ないといけないんです”って怖い顔して9時に帰っちゃうんですよ」
「太一さん、ひどい。怖い顔なんてしてないですよ。いくらなんでも9時には帰りません。12時前には寝なきゃいけないので…9時半には帰ってるかもしれないですけど」
桜がそう言うと、太一と千里は、9時も9時半も変わらないと言って笑った。そして、いつの間にかほろ酔いになっていた千里が、いつもの調子で桜のことを褒め始めるのだった。
「そのキャラでも許されるのが桜さんですよね。私も見習いたいです、その女子力。いつもお肌も髪もツヤツヤで、メイクもしっかりして、女の子らしい格好で、それでいて研究の現場の最前線で活躍しているんですよ。同じ女として、お手上げです。そりゃ、もてますよね」
桜は「そんな、褒めすぎですよ」と謙遜しながら千里の言葉を交わす。もちろん、千里に他意はない。少し年下である桜のことを尊敬してくれた上で、いつでも「かわいい」「素敵」と本心から褒め讃えてくれるのだ。
だが桜は、そんな千里の褒め言葉を素直に嬉しいと感じる一方で、違った感情も抱いていた。
「というわけで、9時半なので、私はお先に失礼しますね」
桜は丁寧に二人に挨拶をすると、一足先に店を出る。
桜が千里の褒め言葉に感じる、もう一つの感情。それは、いつもチクリとした違和感だったのだ。
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