SPECIAL TALK Vol.55

~「目標を立てて、必死に努力する」。苦境を突破する術をスポーツが教えてくれた~

宮城県気仙沼市の男子顔負けのスポーツ少女

金丸:谷さんは宮城県気仙沼市のご出身だそうですね。

谷:はい。高校で仙台に出るまではずっと気仙沼です。海があって、山があって、自然豊かで、自分自身のベースを作った大事な場所です。

金丸:昔から体を動かすことが好きだったのですか?

谷:大好きでした。2歳年上の兄がいて、近所も男の子ばかりだったので、彼らに負けじと一緒に外で遊び回っていました。両親にはしょっちゅう怒られていましたね。言うことを聞かなかったり口答えしたりして、家から追い出されたことも(笑)。でも追い出されても、裏のドアなら開いているはずと全速力で裏に回って、結局鍵をかけられたり、という。

金丸:すぐに諦めることはしない。子どもの頃からガッツがあったのですね(笑)。

谷:両親は私が体を動かすのが大好きだと知っていたので、あまり勉強しろとは言いませんでした。おてんばだったので、小学校の先生からは「まみすけ」というあだ名をつけられましたし、当時の友だちからは、今でも「まみすけ」と呼ばれています(笑)。

金丸:男の子扱いされるくらい活発だったんですね。スポーツを始めたのはいつからですか?

谷:小学1年生からスイミングスクールに通い始めました。3年生のときに選手育成コースに選ばれ、その後は週5で通い、子どもながらにスポーツの厳しさを知りました。

金丸:現在はトライアスロンに取り組まれていますが、ルーツは小学1年生まで遡るんですね。

谷:そうですね。水泳は心肺機能が高まるので長距離走も得意で、高学年のときは地域のマラソン大会にも出場しました。実は、気仙沼市の水泳大会と陸上大会の両方で一番になったことがあります。

金丸:それはすごい!

谷:おかげで、自分にすごく自信が持てました。

金丸:中学校でも水泳を続けたのですか?

谷:いえ。中学では陸上に転向し、1,500メートル走と3キロ以上の駅伝の中長距離走をしていました。2年生のときには、県で8位にもなったんですよ。

金丸:水泳も陸上も個人スポーツですよね。私もスポーツは好きなんですが、黙々とやるのがダメで、個人スポーツは苦手でした。横にライバルがいないと続けられないタイプなんです(笑)。

谷:そうおっしゃる方は多いですよね。私はひとりで黙々と、というタイプで、近くにある安波山という標高240メートルほどの山に、毎朝走って登るのを日課にしていました。眠くても、寒くても、疲れていても、毎日続けると決めていて。今振り返ってみると、結構変わった子ですね(笑)。自分と向き合うスポーツはたしかに楽ではないし、練習自体もすごく楽しいわけでもないけれど、結果がついてきたときの達成感がすごいんです。その喜びが、また次も頑張ろうというエネルギーになっていました。

金丸:日々の積み重ねが結果につながることを知っている人は強いですね。練習はつらくても、努力は嘘をつきませんから。

「勉強に集中」のはずが、陸上部からスカウトを受ける

金丸:高校はどちらに進学されたのですか?

谷:仙台育英学園高等学校です。

金丸:周りも地元を離れる人が多かったのでしょうか?

谷:いえ、ほとんどいませんでした。95%は地元に残るのですが、私は外の世界も見てみたかったので。

金丸:なるほど。高校へはスポーツ推薦で?

谷:それが違うんです。昔から早稲田大学に行きたくて、そのために進学コースに入りました。

金丸:なぜ早稲田を目指したのですか?

谷:父と祖父が早稲田出身だったこともあり、子どもの頃テレビで、早稲田の学生が活躍するスポーツを見ていました。その‶えんじ"の早稲田に、いつか自分も行きたいなという憧れをもっていました。

金丸:ということは、大学でスポーツに打ち込むために、高校ではスポーツを封印したわけですね。

谷:はい。気分転換で週末に走ったりはしていましたが、当時、進学コースは部活動禁止でしたから。

金丸:これまでスポーツ三昧だった生活から一転ですね。

谷:それが仙台育英はマンモス校で、進学コース以外にスポーツと学業の両立を目指すコースや外国語に特化したコースなど、いろいろなコースがあります。あるとき、全コースが参加する校内のマラソン大会で、1位になりまして。

金丸:そうなんですか! それはさすがです(笑)。

谷:それをきっかけに、陸上部の監督からスカウトされました。

金丸:監督からすれば、誘わずにいられないでしょう。

谷:陸上部には県内トップの選手が集まっていて、ケニアからの留学生もいました。そんな環境に本当に私が入っていいのか悩みましたし、先生方からは「成績が下がったらどうするんだ」とも言われました。

金丸:結局どうされたんですか?

谷:最後は「こんなにレベルの高い人たちと一緒に練習できるなんて、一生に一度しかない」という思いが勝ち、2年生から入部することにしました。とはいえ、正直言って、レベルの差を感じましたね。

金丸:1年間のブランクもありますから。

谷:3年生に上がるタイミングで退部してしまったので仙台育英のユニフォームを着て試合に出ることはありませんでしたが、県内トップの選手や留学生と同じ環境に身をおけたのは大きな財産になっています。

金丸:上には上がいるということを知るのは、いいことですよ。

谷:それに「強い選手は楽しんでいるんだ」ということを感じましたね。それまでの私にはなかった感覚なので、本当にいろいろなことを学ばせてもらいました。

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