「手紙、ありがとうございます」
面会室にふさわしくない弾んだ声で、飯島が私に礼を言う。
「あんな感じでよかった?」
飯島は黙って頷く。相変わらず色気の無い男だ。
まだ30代後半だが、白髪まじりで伸び放題の髪に、おなじく白髪のまじった無精髭を生やし、もう十分外は暑いであろうに年中同じ長袖のネルシャツにチノパンを履いている。
あの煌びやかなホームパーティーで最も壁の花になっていた男が、最後に私の周りに残った。皮肉な話だ。
我が社のe-learningの事業が急成長したのは、教育心理学のトップランナーである彼のアイデアを基にしたアルゴリズムによるところが大きい。
ところが、IPOの準備に入り、大きな報酬を得られる提案を会社から手に入れたにも関わらず、彼は事業が軌道にのった途端あっけなく会社を離れた。
「橋上さんをこれからも見ていますから」
彼もまさか面会室で私を見ることになるとは思わなかっただろう。
「で、何かわかった?」
当然の質問をすると、飯島は私の予想外のことを言った。
「全ての手記が書き終わるまで、私は橋上さんに分析結果はお話しません。貴方が、それにひきずられてしまうからです」
驚いたが、まあいい。急ぐ必要もない。時間は山ほどあるのだ。とりあえず覚えていることを書いたが、幼少期の記憶など、役に立つとも思えない。
「ただし、橋上さん。一個だけ」
「なんです?」
「十分。幼少期から、十分、あなたは壊れはじめています」
この記事へのコメント
煮沸ってどんな意味があるタイトル?と思ったら茹でカエルか。
面白くなりそうで期待。