◆記憶②:1986年 某日 AM1:00
「恵一、起きてるか?」
「…うん、起きてる」
「いくぞ」
兄と、決して足音を立てぬように廊下を歩く。
通り過ぎる親の寝室に、気配はない。
1階へ降りるときの階段の軋む音は、足をおろす場所に、先に手をあてることで防げることを兄に教わった。
カエルのような四つん這いの姿勢で2人が1階へと進む。
真っ暗なリビングのテレビの電源をつける。ここが最も難所である。電源をつけると静電気の派手な音が響き渡るのだ。
ーバチン!
…5秒。
…10秒。
親の気配はない。
無音で『ドラゴンクエスト』をする兄の横に、私がいる。
我が家ではテレビゲームは1日30分まで。そんな短い時間では、クラスのみんなに後れをとってしまう。
ーゴホン!
「ごめんなさい」
睨む兄に私は謝る。喘息だった私の咳を、兄は何よりも嫌うのだ。
咳がでないように息を殺して、兄と毒の沼地を進む。苦しい。咳をしたい。勇者のヒットポイントもどんどん減っていく。
自分でコントローラーに触りたいとは思わなかった。大好きな兄の隣で冒険を見守っていられれば嬉しかった。
もうじき、朝だ。
まだ、親の気配はない。
家族構成
製薬会社で研究員を務める父と、小学校教諭の母親の元、私は生まれた。
2人は学生運動で結ばれたそうで、本棚には、ハードカバーの煤けた岩波書店の「マルクス資本論」が飾られていたことを覚えている。
無口で厳格な父と、教育熱心な母親。上に3つ歳の離れた兄が1人。よくあるパターンだ。
(後に知ったが、私の上にはもう1人兄弟がいるはずだったが、流産してしまったそうだ)
母は当時としては珍しく、出産後も仕事を続けていたため、共働き夫婦であった。
世田谷区の鎌田にある木造の一軒家に暮らし、生活に苦しさはなかったように思う。いわゆる中流家庭だ。
◆記憶③:1981年 某日 日本橋三越
中流家庭といえば、思い出したことがある。
たまに日本橋三越で買い物をしたあとに、中にあるレストランでお子様ランチを頼んでもらえるのだが、食が細かった私は、全部を食べきることができなかった。
ーせっかく頼んでくれた親を、がっかりさせたくない。
たくさん食べたように見せるために、チキンライスをスプーンで力いっぱい押し付けて小さくし、皿の隅に追いやる。
「恵ちゃんも、来るたびに食べる量が増えるね」
横から兄が冷たい口調で言う。親は、何も言わない。
私は焦っていた。次回来た時、これ以上はチキンライスを小さく押し固めることができないことがわかっていたから。
「お母さん、おいしいね!」
口いっぱいにほおばりながら、私は笑顔を見せる。
ーどうか、次はレストランに来ませんように。お母さんがお子様ランチを頼みませんように。
この記事へのコメント
煮沸ってどんな意味があるタイトル?と思ったら茹でカエルか。
面白くなりそうで期待。