あなたはご存知だろうか。
日本文化の真髄が今なお息づく、古都・京都のリアルを。
京都に3代以上継続して住まう家の娘だけが名乗ることを許される、“京おんな”の呼称。
老舗和菓子屋に生まれ育った鶴田凛子(26歳)は、西陣で300年以上に渡って呉服店を営む京野家に見初められ、跡取り息子である京野拓真と婚約中だ。
側から見れば幸せの絶頂、のはずだが…この結婚は悪夢の始まりだった!?
祇園、下河原。
夕暮れから舞っていた雪が、うっすらと積もっている。
白くなった石畳に足跡をつけて、暖簾をくぐる。
バカラのシャンデリアが輝く『よねむら』の2階フロアでは、いかにも裕福そうな男女が2組、テーブルを囲んでいた。(※『よねむら』は、現在休業しております)
「凛子さん。結婚式は『ブライトンホテル』でええよね」
婚約者である京野拓真の母・京野薫が放つ、その柔らかくも芯のある声に、凛子はか細く「はい」とだけ答えた。
義母が凛子に向ける言葉は、たとえ質問形式であっても決して問いかけではない。
一生に一度の、結婚式。
本音を言えば『ザ・リッツ・カールトン京都』や『フォーシーズンズホテル京都』での披露宴に憧れていた。
しかしそんなことを口に出そうものなら、「よそ者やあるまいし」などとぴしゃり、と否定されるに決まっている。
京野家は、西陣で300年以上歴史を紡ぐ老舗呉服店。
「凛子さんは京野の人間になるんやから、うちのやり方をしっかり理解してもらわんとね」
何かにつけて、義母は“京野の人間”という単語を口にする。
京野の人間。
その響きはまるで、鶴田凛子としての人生は終わったのだと告げられているかのよう。
違和感を、感じないわけではない。
しかしながら老舗和菓子屋の娘に生まれ、小学校から高校までノートルダム女学院、同志社女子大を卒業した後はコネ入社した地元の信金で申し訳程度に1年働いただけ。
その後はいわゆる“家事手伝い”という甘い汁を吸いながら苦労知らずに生きてきた凛子には、乗ってしまったレールから外れる力もなければ、その方法すら思いつかなかった。
この記事へのコメント
好いても惚れぬと言われる京都人は屈指の嫌われっぷりですから、コメント欄の炎上が楽しみです^_^
きっと同居だろうし、旦那は義母の言いなりだろうし。
これから、嫁姑のバトルが始まるね。