褒められることが好きだった薫は、嫌がることなく勉強を楽しんだ。そのため名古屋での高校時代、特に苦労することもなく圧倒的な成績で東大に現役合格した。
勉強は好きだった。やればやるだけ結果がでた。テスト前に「どうしよう」と半泣きになっている友人たちの気持ちがわからなかった。
由緒ある出自、愛嬌のある顔立ち、明晰な頭脳……。
これ以上何が必要かと言うほど、薫はすべてを持っていた。
そんな薫が、友人たちが就職活動に励んだり大学院進学を決めたりと将来に向けて動き始めた時に、母から言われたのがあの言葉だった。
「薫ちゃんのしたいようにしなさい。働く必要はないから」と。
そうして、現在の広尾の家とクレジットカードを渡され今に至る。
幼い頃から、家族の中で毎朝出かけなければならないのは学校に行く薫だけだった。朝から晩まで仕事で拘束される人が身近にいなかった。
だから薫にとって今の「仕事も家事もしない暮らし」は違和感のないものであり、毎日会社に行き残業する友人の話を聞くだけで疲れてしまう。
だが、「いつか、何かしたい」そんな気持ちだけはこっそりと抱えていた。
◆
薫が逃げるように百貨店を出て、その足で向かったのは銀座の『masq』。
牡蠣もステーキも美味しく、洗練された空間はいつも多くのカップルでにぎわっている。
ここは二日に一回は来ることもある、馴染みの店。優しいお兄さんたちが薫を諭してくれる場所でもある。
バーカウンターに進み、椅子に座るなり薫は勢いよく口を開いた。
「お腹空いたから、とりあえず温かいのください」
そう伝えて、しばらくして運ばれてきたのは「フォアグラそうめん」。それを目の前にして、薫はぽつぽつ話し始めた。
「別に、買い物する時に予算なんてないんだから、どっちも買えるけど。でも、あんな言い方されたら、まるで担当さんのために買うみたいじゃない?私は本当に気に入ったものしか欲しくないのに…」
ぷくっと膨れて、ぶつぶつ独り言のように薫は話した。
それに耳を傾けていたスタッフが、タイミングを見て諭すように言った。
「でもまた、なんでもいいって顔してニコニコしちゃったんじゃないの、姫」
「そんなことないけど……!」
薫のまわりには、優しい人ばかりが揃っている。
家族も、友人も、学生時代の先生たちも、レストランのスタッフも、百貨店の担当さんも、だ。
いつも笑顔で接してくれる。子どもの頃からずっとそうだった。その優しさを疑問に思うこともなかった。
だが最近、薫は違和感を覚えるようになっていた。その優しさは、単なる親切心からきているのか、と。
◆
―昨日はありがとうございました。お迷いのお品物、お取り置きしておりますのでいつでもお申し付けください。
翌朝、担当さんから届いたメールを見て、薫は愛犬のアンナに囁いた。
「別に欲しくないんだけどなぁ…」
上質なもので揃えられて広いリビングには、薫の声が小さく響いた。
▶NEXT:10月14日 土曜更新予定
自分のための誕生日プレゼントを探す薫を悩ませる出来事が起こる。
※本記事に掲載されている価格は、原則として消費税抜きの表示であり、記事配信時点でのものです。
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この記事へのコメント
シンプルにお育ちがいい。
私こうゆう女性すきだなー。言葉使い汚い人や毒吐く人、下品な人の方が嫌だな💦
ストイックな受験生活、周りのサポートあってこそだと思います。
てか、どの話も簡単に東大に行きすぎ...