2016.08.25
ラール・エ・ラ・マニエール Vol.1結婚式を1カ月後に控えたある日の朝、雅樹から突然告げられた。「結婚を取り止めにしたい」と。
「他に好きな人ができてしまいました。その人と一緒になりたいと思っています。」
そんな馬鹿みたいな事を、彼は真剣に言った。どこかで知り合った、40歳の女性を好きになってしまったそうだ。そして彼との結婚はなくなった。
美香は全てを失い、しばらく世田谷の実家にこもった後、手元に残った慰謝料の300万で毎日買い物に明け暮れるようになった。だが、どんなに美しいジュエリーも、上質な革のバッグも、美香の絶望を埋めることはできていない。
その時から美香は、何を食べても味を感じられなくなってしまっていた。
◆
美香はグラスに注がれたシャンパンの気泡を見つめながら、ふと我に返る。『ラール・エ・ラ・マニエール』と読むこの店は、フレンチレストランだった。扉を開け、案内されるまま席に座ったが、料理を楽しみにしている様子はない。
シャンパンを飲み終える頃、前菜が運ばれてきた。ソムリエの男性はワインの説明をしながら、グラスに注ぎ、テーブルから離れる。
前菜はフォアグラのパフェで、カクテルグラスに入ったムースの上に、薄くスライスしたフォアグラが乗っており、全体に穂紫蘇がちらしてある。ムースの中に入っているのは南高梅のゼリーだとソムリエに説明されたが、美香はこの味を楽しもうともせず、スプーンですくって一気に食べた。
次の料理が運ばれてくると、よほど不満そうな顔をしていたのだろう、ソムリエが声をかけてきた。
「お楽しみいただけていますでしょうか?」
美香は彼と目を合わせることもなく「はい、大丈夫です」とだけ言って、またグラスを掴んで、ワインを喉に流し込む。そしてメイン料理が運ばれてきた。
「こちらは、ランド産ピジョンとセップ茸のローストでございます。ランドはフランスの地名、ピジョンは鳩、セップ茸はイタリア語でポルチーニとも言います。ソースも鳩のガラを使って2日間煮込んでおります。セップ茸は8月~10月のちょうど今が最盛期ですので、旬のお味をお楽しみください。」
ソムリエから丁寧な説明を受けるが、美香は何も反応せず黙ったまま、ナイフとフォークを掴んだ。
「どうぞ、そのまま手掴みでお召し上がりください。」
そう声をかけられ、美香は初めてソムリエの男性をきちんと見た。長身で色白の、繊細そうな男性がそこには立っていた。
「手で?」
「はい、直接手でお召し上がりください。フランス料理というと、マナーを気にされる方が多い。もちろん大切なことですが、お客様に食事を楽しんでいただくのが、私たちの1番の仕事であり楽しみでもあります。どうぞお気になさらず、お料理を味わってください。」
目を細めて、彼は言った。以前の美香だったらそんな事を言われても断り、ナイフとフォークを使っていただろう。だが、思考停止状態なのかそれとも、彼の優しそうでありながら意志の強さが宿る瞳のせいか、美香は言われるまま素直に皿の上に両手を出した。
手前のモモ肉に手を伸ばし、左手で骨を掴み右手を添える。すると料理の温かさが直接肌へ伝わってきた。じんわりと温かく、右手には柔らかな感触がある。
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