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日比谷線の女 Vol.5

日比谷線の女:愛とも恋とも違う、築地に住む15歳年上バツイチ男との10年

大正時代に建てられた一軒家を改装し、風格のある店構えが印象的な割烹料理屋2階の個室で、香織はある男性と向かい合い座っていた。

食前酒を飲みながら「なんだかお互い、いい歳になったよね」そう言って香織は笑った。

相手は香織より15歳年上の48歳。名前は白鳥健一郎。小さな不動産会社を経営し、新富町に事務所を持っている。

本人からはっきりと聞いたことはないが、千代田区にある大病院の娘を母に持ち、仕事なんてしなくても十分に余裕のある暮らしが送れるほどの財力を持つ家庭に生まれたそうだ。今は彼の従兄弟が4代目の院長を務めているらしいと共通の知り合いから聞いた。

健一郎と知り合ったのは中目黒の『バル・エンリケ』だった。

祐天寺に住んでいる香織と、中目黒に住んでいた健一郎は、よく会う常連同士で仲良くなり、広尾に住む孝太郎会社の先輩・翔太と付き合っていた時も、たまに会えば恋愛ののろけ話や相談をしていた。健一郎と知り合ってからはもう10年近い月日が経つのだ。

初めて会った時から、健一郎が醸し出す上品で洗練された雰囲気と、自分のような若い女にがっついてこない落ち着いた態度に好感を持っていた。「草食男子のハシリだね」と茶化したこともある。

年の差は気にしない香織が、健一郎に興味を持ちながらも恋愛に発展しなかったのは、彼が結婚していたからだろう。結婚していると言っても、子供はおらずほとんど別居状態だったらしいのだが。

別居状態であれ、既婚者と知れば「絶対ない人」のカテゴリーに入れるため、香織が恋心を抱くことはなかった。東京での恋愛に奔走する中で、健一郎は年上の良き相談相手兼飲み友達となっていたのだ。

知り合って3年が過ぎた頃に健一郎は離婚し、新富町の事務所に通いやすいよう築地に引っ越した。それからはずっと一人でいる。もちろん恋人がいた時期もあるだろうが、その存在について健一郎の口から聞いたことは一度もない。香織も、その時々の恋人のことを全て話していたわけでもない。

彼が築地に引っ越してからは2人で飲みに行くことが増え、より親しくなった。だから健一郎にはこれまで、築地界隈の色んなお店に連れて行ってもらった。

「香織は気取ってない店に連れて行っても本当に楽しそうに飲み食いしてくれるのが良い」と笑って言っていた。

2人で飲みに行けば、酔いが回って手を繋いで歩くこともあった。たまに、恋人ごっこをするのがお互いにちょうど良かったのかもしれない。責任も束縛もない、適度な距離を保った関係だ。

築地に新しい店ができればすぐに誘われたものだ。おそらく彼も寂しかったのだろう。香織にとっても仕事でも関係なく、少しの好意を持っていながらお互いに深入りしようとしないスタンスが心地良かった。

健一郎とは築地だけでなく、隅田川を越えて勝どき、月島エリアまで行くことも多かった。


お寿司は『本種』、焼肉だったら『韓灯』か『焼肉 凛本店』、ワインが飲みたい時は『ウオカメ』や『サポセントゥ ディ アキ』、『トラットリア築地パラディーゾ!』、和食は『清壽』を気に入っていた。

『かねます』と『岸田屋』は特に頻繁に通っていた。

大衆的な店を好む彼にとって、築地はまさにうってつけだったようだ。

彼とは毎週のように会っていた時期があれば、半年に一度しか会わない時期もあった。香織に恋人ができれば会う回数は極端に減り、恋人とうまくいっていない時や決まった相手がいない時は会う回数も増えていた。

そんな彼の部屋には一度だけ行ったことがある。香織が仕事のストレスから飲み過ぎて、珍しく動けなくなってしまったため健一郎は仕方なく自宅へ連れて帰り泊まらせてくれたのだ。

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日比谷線の女

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