
~地元・滋賀を愛し続ける自分なりの仕事の流儀がある~
さまざまな音楽に影響を受け、自己流で歌い方を身につける
金丸:洋楽のコピーバンドで歌い始めて、最初からそんな声が出たんですか?
西川:それが、何となくやってるうちにこうなったんです。
金丸:ボイストレーニングとか、そんな経験もなしに?
西川:お恥ずかしいんですけど、一度もちゃんとトレーニングしたことがなくて。
金丸:ということは、天性の声なんですね。ギターやドラムをやりたいと思っていたら、また全然違う人生だったでしょうね。
西川:ちなみに、いまだに譜面も書けないです。
金丸:アレンジの指示はどうするんですか?
西川:全部口頭です。「その音じゃなくて、こんな感じで」って説明する。ドラムのフレーズとかも全部口頭。だから、やりとりにすごく時間がかかる。
金丸:それでも第一線のアーティストとして、長年活動されています。それに勇気づけられる人もいるんじゃないですか?
西川:だけど、「アドバイスください」と言われてもちゃんと教えられなくて、申し訳ない気持ちにもなります。
金丸:歌については、完全に自己流で積み上げてこられたんですね。
西川:素晴らしいシンガーがたくさんいらっしゃるので、とにかく聴いて、いいなと思ったら真似してみる。歌い方や声の出し方を自分なりに掴んで、「自分が歌うんだったら、もっとこんな感じかな」というのをこれまで繰り返してきました。
金丸:そうやってアーティストとして進化されているんですね。
西川:いろいろなものに影響を受けたり、自分なりに噛み砕いたりしているうちに、歌い方が結構変わってきているのを自分でも感じます。昔の音源を聞いてみると、5年くらいの周期で変化しているので、まだまだこれからも変わっていくと。
金丸:ところで、音楽の道に進むと決めたとき、ご両親には反対されなかったんですか?
西川:父には反対されました。県庁の職員だったので、「生計を立てられるわけないだろう」って。だけど、母は「やりたいんだったらやれば」と。
金丸:素晴らしい。お母様はお仕事をされていたんですか?
西川:歯科衛生士と歯科技工士を。それに専門学校で先生もしていましたね。ありがたいことに、僕はよく歯を褒めてもらうんですが、それは母のおかげです。ちっちゃい頃から歯の磨き方を叩き込まれたし、まだ一般的じゃないときからフッ素のうがい薬を使ってました。
金丸:お祖父様もご両親も堅い職業で、よくぞ音楽に。
西川:まあ、最初から手放しで応援してもらっていたわけじゃなくて、親戚まで巻き込んで大騒ぎにはなりましたけどね。だけど、おかげさまでかたちになって、ようやく母にも安心して見てもらえるかなというタイミングで、母の病気が発覚したんです。