店員が席を離れたタイミングで、颯斗がポツリとこぼすように言った。
「年齢とか自分の立場とか、そういうのを考えすぎてたんだと思う。周りの目も気にしてたし。結局、俺が向き合うべきなのって、自分の気持ちとまりかなんだなって気づいたんだよね」
「年齢はわかるけど、立場って…どういう意味?」
「つまりね、周りから色々と“釣り合ってない”って言われるのが怖かったってこと」
私は黙ってウーロン茶のグラスに口をつけた。
「だってさ、まりかは経営者でスタイルもよくて、美人で……俺からしたら、ちょっと高嶺の花すぎるんだよ」
「え?そっちの“釣り合わない”なの?僕みたいな仕事が出来るイケメンとオバサンじゃ無理だよ…じゃなくて?」
「あははは、何それ。ていうか、まりかはおばさんじゃないじゃん」
彼が笑う間にも、絶妙なタイミングで網に載せられた肉が焼きあがる。
「まりかってさ、ちゃんと自分の足で立ってる人じゃん。僕はそういう人とちゃんと向き合いたい。尊敬できるし、でもちょっと抜けてて可愛いところも好きだよ」
少し照れた颯斗の表情を見ていると、彼の言葉が本心だと伝わってくる。
「……ありがとう」
胸がいっぱいになり、私はその言葉しか出てこなかった。
店を出たあと、口に残る焼肉感を、ミントフレーバーのタブレットでスッキリさせながら颯斗と西麻布を目指して歩いた。
夜風が心地いい。
「うちくる?」
私がそう聞くと、颯斗は何も言わずに手を握ってきた。
そのまま誰もいない路地裏で酔いに任せて久しぶりにキスを交わした。程よい緊張と胸の高鳴りと安心感。
私だって離れたくて離れたわけじゃない、怖かったのだ。本気にならないつもりの恋に、いつの間にかハマり心を掻き乱されることが。
キスの後で急に恥ずかしくなり、颯斗の胸に顔を埋めしばらく抱きついた。
30代半ばくらいから、真剣な恋愛を避けるようになっていた。
かつては、恋に振り回されて、食事ものどを通らないとか、不安で眠れなくなったり、1日に何度もスマホを手に取り彼からの連絡をチェックしたりと、一日の大半を「彼」で埋め尽くしてしまうこともあった。
20代の頃は、友達との話のネタにもなるし、新しい出会いもたくさんあったからまだよかった。でも30代半ばともなると、そういう激しい感情はただ疲れるだけだから、見ないふりをしたり、先回りして本気の恋愛を遠ざけていた。
だから、颯斗に本気になる前に自分から連絡を断ったのだ。
でも、今こうやって手を繋いで歩いてる。
もしかしたら、颯斗とは運命的なつながりがあるのかな、と期待してしまう。
私の家に行く前にコンビニに寄った。アイスを選びながら、颯斗が言う。
「この前、まりかの誕生日ちゃんとお祝いできなかったから、今度改めてしようね」
「いいよ。今日焼肉奢ってもらったし十分。ありがとう」
「ダメ。ちゃんとやろう。もしフレンチや鮨とかの堅苦しいのが嫌だったら…旅行とかでも」
「旅行…それはちょっとそそられるかも。温泉とか行ってゆっくりしたい。結局夏もまとまった休みを取らなかったし」
「じゃあ、決まりだね!」
颯斗は笑顔で言いながら、アイスと飲み物をレジへ持って行く。私は、まばたきすら忘れてその姿をじっと見ていた。
「ちゃんと付き合いたいと思っている」という颯斗の気持ちは嬉しい。
でも、38歳の私と29歳の彼では抱えている将来への不安の大きさだとか、焦燥感が違いすぎる。
もちろん、私だって颯斗のことが完全に遊びだったわけじゃない。だったら私の誕生日をスルーされただけであんなに苦しんでいない。
けれど、男女がいつまでも付き合いたての感情のままでは居られないことは、これまでの経験上わかっている。
深い関係になれば、お互いの見なくて済んだ嫌なところも気になってくるだろうし、一緒にいる時間以外のところも気になって、無意識のうちに束縛もしたりして…そうなったら、私が私じゃなくなる。
それは、大人の女性としてどうしても避けたい事態だ。
颯斗と付き合うのは怖いけど、“いずれ子どもが欲しい“という願いは叶えたい。だとしたら、颯斗じゃなくてもいいことになる。
「恋愛がしたいのか、結婚して子どもがほしいのか」
相手は颯斗じゃなきゃだめなのか、自分の本音が見えない。
颯斗のことは好きなのに、結婚とか子どものことを考えると、自分がどうしたいのかわからなくなる。
私は、彼がお会計をしている間に、先にコンビニを出て外で空を見上げた。数年前に辞めたタバコを、久しぶりにまた吸いたいと思った。
▶前回:「そろそろ結婚した方がいいのかな」毎年、誕生日のたびに頭をよぎる30代女性の切実な思い
▶1話目はこちら:「男の人ってズルい…」結婚して子どもができても、生活が全然変わらない
▶Next:10月15日 水曜更新予定
愛梨は将生の本心を知り…
この記事へのコメント
別に年の差は関係ないと思いますが、颯汰の今までの言動からまりかを本命視するとは全く思えなかったのがちょっと会わずにいただけでいきなり変わるとか、薄っぺらい話だなと感じました。子供は欲しい38歳が、今恋愛したいのか結婚したいのか「自分の本音が見えない」とか悠長に悩んでるのも現実味ないです。