SPECIAL TALK Vol.126

~「できない」「分からない」の楽しさを伝えたい。万博プロデューサーとして想いを「クラゲ」に込める~


熱心に通った音楽教室をやめ、次にハマったのが数学


金丸:早速ですがお生まれはどちらですか?

中島:大阪府の羽曳野市です。4歳まで茨木市で過ごし、その後、東京の町田に引っ越しました。

金丸:では、ネイティブ大阪弁はできない?

中島:できません。母は普段、東京弁でしゃべってますけど、大阪弁が聞こえるとすぐ大阪弁になります。

金丸:ご両親とも関西生まれなんですか?

中島:父は東京ですが、母方はザ・大阪です。江戸時代は堺の方で商人をやっていたらしく、貿易をしていたとか。

金丸:その子孫の中島さんが、世界各国が集まる万博でプロデューサーを務めるって、なんだか運命を感じますね。

中島:ご縁ですね。だけど、関西って面白いですよね。大阪、京都、奈良と個性豊かで。

金丸:首都圏だと東京の比重が大き過ぎて、バラエティという意味では関西に負けていると私も思います。4歳で引っ越してからはずっと東京に?

中島:いえ。小学3年生のときに今度は横須賀に引っ越しました。

金丸:学校はどちらに?

中島:小学校は地元の公立で、中高は横浜のフェリス女学院に通いました。大学は東京大学理学部数学科に。

金丸:やはり教育熱心なご家庭なんですか?

中島:母は、自分が学ぶことが大好きで。いわゆる主の仕事は主婦ですが、いろいろなことに興味があり、点数とか偏差値とかは関係なく、自ら学び、感じ考え、生み出すことの醍醐味をよく知っていました。私もすごく影響を受けていると思います。母が楽しそうだったから。

金丸:お父様の影響は?

中島:エンジニアでしたが、あまり家におらず、正直影響は……。

金丸:男親なんて、そんなものですよ(笑)。ちなみにごきょうだいは?

中島:年子の妹がいます。高校3年生くらいで目覚めて、それ以来、私以上にバリバリの理系です。もう15年以上ずっとアメリカにいて、ロックフェラーやMITなどで研究を続けています。

金丸:女子がふたりとも理系に進むって、日本では珍しいですね。

中島:でも私は、学校では国語や社会の方が好きでした。それに数学って、私の中では理系科目というより、哲学っぽいものだと感じています。

金丸:数学にハマったのは、何かきっかけがあるんですか?

中島:本格的にハマりだしたのは、中学2年生の頃です。4歳くらいからずっとピアノを習っていたんですが、譜面どおりに弾くよりも自由に弾くのが好きで。作曲も習っていてすごく楽しかったんですけど、自分で作る曲が似たようなものになってきて、何を思ったのか、そこですっぱりやめました。

金丸:思い切りがいいですね。

中島:それまで週3〜4くらい音楽教室に通っていたので急に暇になってしまって、そこに数学が入りこんだ、という感じです。それまでにもいろいろな出会いがありました。最初は中学の数学の先生ですかね。65歳ぐらいの、定年退職間近の先生がいたんですよ。その先生が数学に対して「美しい」という言葉を使うことがあって。

金丸:わかります。数学って、ものすごくシンプルな式だけど、奥深くていろいろな美しさがありますよね。

中島:周りの子には響いていなかったようですが、私は「確かに美しいかもしれない」って思っちゃって。今思うと思春期真っただ中で、いかにも「中二病」っぽくもありますが(笑)。同じ頃に小説も読み始めました。

金丸:どんな小説を読まれたんですか?

中島:ロシア小説好きの母の影響を受けて、トルストイ、ゴーリキー、ゴーゴリとか。

金丸:私もロシア小説はかなり読みました。読んでいると、灰色の空がイメージされますよね。決して快晴ではない。

中島:やっぱりロシアだから、寒くて暗い感じがしますよね。ゴーゴリの『外套(がいとう)』とか好きなんですよ。それだけだと小説にするほどでもない、なんでもない話なんだけど、なんでもないところを掘り下げるからこそ、人間のどろどろってした心の描写が、弱い部分も強い部分も真に迫る。ちゃんと理解していたかどうかは分かりませんが、人の内面に惹かれたんでしょうね。

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