SPECIAL TALK Vol.123

~モデルから放送作家へ。異色の経歴は恐れずに踏み出した証拠~


「もっと頑張れる世界は」。たどり着いたのが放送作家


金丸:放送作家になったのは、何がきっかけだったんですか?

勝木:モデルを続けているうちに、この仕事ではトップにはなれなさそう、というのが分かったんです。たとえば、当時は『JJ』『ViVi』『Ray』『CanCam』など「赤文字系」と呼ばれる女性ファッション誌が全盛期で、米倉涼子さんや長谷川理恵さん、藤原紀香さん、長谷川京子さんたちが活躍されていました。そういう方たちと比べたら、自分の力不足を感じてしまって。

金丸:なんだか、高校入学後の勝木さんとダブるところがありますね。

勝木:そうですね。親をがっかりさせたくない、という気持ちもありました。嫌がる親を我慢させて東京まで出てきたんだから、ちゃんと成果を出して喜ばせたい。だから、私がもっと頑張れる世界がないかな、と何となくですが探していたんです。

金丸:それで、行き当たったのが放送作家だった。

勝木:そうです。テレビのお仕事が結構多かったので、そこで放送作家という職業を知りました。厚かましいし、根拠もないんですけど「もしかしたら、こっちの世界のほうが頑張れるんじゃないか」と思って。

金丸:放送作家って、なろうと思ってなれるものなんですか?

勝木:私の場合はツテですね。ある番組の打ち合わせの席で作家さんに「放送作家に興味あるんですよ」と話したら、「いい人紹介するよ」と、作家事務所の社長を紹介されました。

金丸:いきなり社長!本当にいい人を紹介してもらいましたね(笑)。

勝木:それで面接してもらうことになったんですが、就職活動なんてしたことないから、感覚がモデルなんですよ。「何がいるんだっけ?写真は全身とアップとバストアップいるかな?スタイルが分かる格好で行ったほうがいいのかな」みたいな。

金丸:放送作家になるのにスタイルは関係ないですよ(笑)。

勝木:ほんとに笑っちゃいます(笑)。でも当時はそれも分からず、ミニスカにロングブーツで面接に行って、「変なやつが来た」みたいな。でも、相手も放送作家なので、面白い人が好きなんですよ。「変だけど、あなたみたいなのが逆に面白いかも」というノリで合格しました。

金丸:モデルもそうですが、挑戦してから合格までが早いですよね。

勝木:そうですね。1週間後には会議にも参加しましたから。年金の番組を作るために「年金のスペシャリストを探して資料にまとめてくれ」と宿題をもらいました。でも、それまでモデルしかしていなかったから、パソコンも持っていなくて。

金丸:じゃあ、手書きでまとめたんですか?

勝木:手書きだし、学級新聞形式です。

金丸:学級新聞って、学校の壁に張り出す、あの形式ですか?

勝木:そうです。いろんな専門家を調べてきて、「二児のママ ◯◯さん」という名前と勝手に作ったキャッチコピーを書いて、顔写真を貼って、その人が出している書籍を書いて。何枚かの紙を貼り付けてコピーすると、影のところが黒い線になっちゃうじゃないですか。その線を修正液で消して、もう1回コピーして。

金丸:信じられないくらいにアナログですね(笑)。ちなみに勝木さんはその頃、何歳だったんですか?

勝木:25、26くらいですかね。そんないい大人が、真面目に会議しているところに学級新聞を提出したわけですから、振り返ってみると信じられません(笑)。

金丸:でも、勝木さんだってふざけてるわけじゃなくて、大真面目に作ったわけでしょ。

勝木:会議は一瞬「どういうことだ?」みたいな空気になりましたけど(笑)。それでも皆さんの心が広いのか、怒るんじゃなくて、笑ってくださって。

金丸:ユニークなことは間違いないですよ。

勝木:だけど、「このままじゃまずい」と思い、翌週にパソコンを買いました。あと、引っ越しも。「モデルと作家の二足のわらじなら、とにもかくにも時は金なりだ」と、まず移動時間を削ろうと思って、当時住んでいた川崎市登戸から事務所に近い渋谷に引っ越しました。

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