SPECIAL TALK Vol.123

~モデルから放送作家へ。異色の経歴は恐れずに踏み出した証拠~


スポーツや勉強もしたが、選んだのはモデルの道


金丸:ところで、スポーツは何かされていたんですか?

勝木:中学では陸上部で、走り高跳びをやっていました。学校って、始業式や終業式の時に、部活動を表彰する時間があるじゃないですか。私、毎回のように表彰されていました。

金丸:えっ、そんなに活躍されていたんですか?

勝木:中1の後半か中2の始めくらいから、地域の大会に出るたびに優勝していて。

金丸:それはすごい。では、アスリートとしての人生もあり得たわけですね。

勝木:高校からスカウトもされたんですけど、私は「自分は努力するのがあんまり得意じゃない」と感じていました。だから頑張っても九州レベルで、全国区の選手には絶対になれないだろうなって。

金丸:見切りが早すぎませんか。もったいないように感じますが。

勝木:私、自分では結構、「逃げてきたな」と思うことが多くて。

金丸:「逃げ」ですか。

勝木:モデルの道も、ある意味では逃げだったというか。

金丸:逃げてモデルって面白いですね。モデルになった経緯を教えていただけますか?

勝木:きっかけは高校2年生の時でした。地元の呉服屋さんによる着物ファッションショーのようなイベントがあって、「参加しませんか」とお誘いが来たので友達と一緒にやってみようということになったんです。そしたら、当日、モデル事務所も来ていて、「モデルに興味ありませんか」と。

金丸:いきなりの誘いに勝木さんはどうしたんですか?

勝木:考えてもみなかったことが、急にひょこっと飛び出てきたので、びっくりしたんですけど、やってみたいと思いました。もちろん、最初から職業にしようなんて思っていなくて、「なんか楽しそうだな」くらいの気持ちで。

金丸:その頃の勝木さんは、自己評価はどうだったんですか?芸能人だと「自分がかわいいなんて思っていなくて」みたいなことを言う人もいるじゃないですか。私、絶対に嘘だと思うんですが(笑)。

勝木:そうですね。私、小中高とちょこっとモテたんですよ(笑)。だから、ちょっとは「かわいいんだろう」という自負はありました。

金丸:正直に言ってもらえてよかった(笑)。それがなければ、いくら地元のファッションショーでも参加しようと思いませんよね。それで、最初に所属されたのは地元の事務所なんですか?

勝木:そうです。福岡県のちっちゃい事務所ですね。

金丸:そこに所属して、ローカルなモデル活動を始めたんですか?

勝木:はい。何も分からない状態で言われるがままオーディションに行ったら、受かってしまい。その現場が長崎だったんです。「私みたいなズブの素人が受かるようなオーディションだから、同じような地元の人ばっかり来るんだろう」と思っていたら、来る人来る人、『non-no』とかの雑誌で見たことのある人たちばかりで。

金丸:本当に何も分からないまま現場に行ったんですね(笑)。

勝木:毎朝、日が昇る前からヘルメットをかぶって自転車で田んぼ道を通学している、三つ編みおさげの田舎者が、急にこんなキラキラしたところで、雑誌で見ている人の隣に立つことになるなんて。「え、◯◯ちゃんだ!」「あ、△△ちゃんだ!」って、周りを見ながらドキドキして。だけど、私がドキドキしてるモデルさんたちも、はっと息を飲む瞬間があったんです。ヨーロッパのコレクションにも参加されている川原亜矢子さんが入られたら、もう輝きがすごすぎて。

金丸:オーラあったんですね。

勝木:素晴らしかった。まさか自分がそんな方と同じステージに立てるなんて思いもしなかった。私は端っこの中の端っこの役割でしたけど、「モデルになりたい。だったら東京に行かなきゃ」って思っちゃったんです。

家族の溺愛から離れ、東京でモデルとして活動


金丸:すぐに、親御さんに「モデルになりたい」とお話されたんですか?

勝木:話したら、すごくびっくりされました。親は当たり前のように「この子は大学を受験して、どこかにちゃんとお勤めするんだろう」と思っていたはずです。それが「急に東京に出たい」ですから。

金丸:通っていた高校は進学校だったんですか?

勝木:そうです。エリアで2番手くらいの。

金丸:それじゃあ驚かれるでしょうね。

勝木:しかも「家族大好き」な一家なので、娘を離したくもない。私が「やってみたい」と夢を語ると、親はどんどん暗くなっていって。

金丸:でも最終的には認めてもらえたんですよね。説得にどのくらいの時間がかかったんですか?

勝木:それでも1ヶ月もかからなかったはずです。最後、許してくれたのは「反対して友香ちゃんに嫌われるのが嫌だ」って。

金丸:いやー、分かる気がします。私に娘がいたら、自分は表に立たず妻に反対してもらうかもしれません(笑)。それで、さっきおっしゃった「逃げ」というのは?

勝木:エリアで2番手の高校を選んだのは、1番の学校だと偏差値が足りないと思って、一つ下の学校へ。その時点では、「高校に入ってから挽回して、九州大学とか、有名な頭のいいところに入ればいい」と考えていたんです。だけど高校って、各中学から同じ学力の子が集まるじゃないですか。

金丸:その中で勝木さんは埋もれてしまった?

勝木:そのとおりです。中学まではあまり勉強しなくても良い成績を取れたのが、急に下の順位になって。驚いたしやる気もなくなって、挽回するどころか成績が下がっていき、「これじゃあ、両親が期待してるような大学には行けないな」というのがうっすらと。

金丸:そこにモデルの話が降って湧いてきた。

勝木:モデルをやりたい、という大義名分ができちゃったもんだから、私はそれを振りかざして大学受験から逃げたわけです。

金丸:逃げというと卑下しすぎに思います。「違う道を選んだ」でいいじゃないですか。実際にその後、活躍されたわけですし。それで、東京には高校卒業後に?

勝木:いえ、最初は高校3年生の夏休みです。いくつかオーディションを受けようと思って。そしたら最初のオスカープロモーションで、ぱっと決まっちゃったから、あんまり考えもせず「ここでやっていこう」と思ったんです。

金丸:東京にはおひとりで?

勝木:その時は母と一緒に、寝台列車で。この話をするたびに、「いまどき寝台列車で上京する人いるのね」って言われるんですけど(笑)。

金丸:私もよく利用していましたよ。

勝木:しかも、母は「東京は怖い」と思っているので、「お金を取られたらいけんけん」とか言って、ストッキングにお金を入れて、それを腰に巻いて寝て(笑)。

金丸:どこか危ない国に行くかのような(笑)。東京で暮らし始めたのは、高校卒業後ですか?

勝木:卒業前に引っ越しました。「すぐにレッスンを受けてください」と言われたので。受験が近くなると、3年生は学校に行かなくてよくなるタイミングがあるんです。

金丸:各自で必要な勉強ができるように、ですよね。

勝木:そう。そのタイミングで上京して、レッスンを受け始めました。卒業式は帰省しましたけど。

金丸:しかし、すごいスピードで生活が変わりましたね。モデルとしてはどのくらいの期間活動されたんですか?

勝木:10年弱くらいです。ファッションモデルという感じではなく、雑誌やCMやショーなどのほかに、テレビのレポーターやMC、お芝居みたいなことにも挑戦しました。本当にいろんなジャンルのお仕事をしましたね。

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