SPECIAL TALK Vol.121

~スポーツの喜びをより多くの人が体験できるよう、これからも挑戦はやめない。~

令和のニューリーダーたちに告ぐ


パラリンピックや世界パラ陸上で多くのメダルを獲得してきた山本 篤氏。

スポーツ熱心な家庭に生まれ、子どもの頃からいろいろなスポーツを経験してきたが、高校2年生の時、交通事故を起こし、左足の太ももから下を失う。

しかし、「義足になってもスポーツをしたい」という思いがあった山本氏は、そこで絶望しなかった。

競技用の義足との出合いをきっかけに未経験の陸上競技に挑戦し、国内有数のパラ選手として地位を築き上げた。数々の成績を残し、2024年5月に競技からの引退を決めた山本氏。

ごく普通の少年がトップアスリートになるまでの歩みを振り返りながら、障害者スポーツを取り巻く環境や、その未来について語り尽くす。

山本 篤氏 1982年、静岡県掛川市生まれ。小学校は野球チームに入り、中学、高校ではバレー部に所属。高校2年の春休みに起こしたバイク事故により、左足の大腿部を切断。高校卒業後に進学した義肢装具士になるための専門学校で競技用義足に出合い、陸上を始める。2004年、大阪体育大学体育学部に入学し、陸上部に所属。2008年スズキ株式会社に入社。パラリンピックは北京から東京まで4大会連続出場。2017年10月からプロ陸上選手となり、2024年5月に競技から引退。


金丸:本日はパラアスリートの山本 篤さんをお招きしました。お忙しいところ、ありがとうございます。

山本:こちらこそ、お招きいただき光栄です。

金丸:今日の対談の舞台は虎ノ門ヒルズ駅にほど近い『すきやき あさい』です。今年3月にオープンした、すき焼き一本で勝負する潔いお店です。8年ほど前に閉店した元赤坂のすき焼き店で働いていた方々が携わっているということで、その味を懐かしみ、多くの大人が訪れているとか。お肉はお好きですか?

山本:大好きですね。

金丸:それはよかった。新保吉伸さんという肉のスペシャリストがいらっしゃいますが、その新保さんから近江牛を仕入れている、唯一のすき焼き店だそうです。

山本:料理もすごく楽しみです。ただ今回、なぜ僕を呼んでいただいたのか、すごく気になっていて。

金丸:この対談は逆境を乗り越え、果敢に挑戦を続ける方をお呼びしています。障害者スポーツで活躍している方でいうと、これまで車いすテニスの上地結衣さん、走り幅跳びやトライアスロンの谷 真海さんに登場いただきました。

山本:そうだったんですね。そんな方たちと並べていただくなんて恐縮です。

金丸:とんでもない。山本さんのご活躍も相当なものです。パラリンピックだけでも、初出場の北京2008大会でいきなり銀メダル。北京から東京まで4大会連続で出場されています。

山本:パラリンピックでは、これまで北京とリオの走り幅跳びで銀メダルを2つ。リオでは4×100メートルリレーで銅メダルを獲りました。

金丸:陸上競技だけではなく、2018年には平昌パラリンピックにスノーボード日本代表としても出場されましたよね。

山本:冬季大会出場はその1回だけで、結果も満足のいくものではありませんでしたが、それでも挑戦したかいはありましたね。

金丸:そして、陸上選手としては、この5月に引退されたそうですが。

山本:はい。自分のなかで限界を感じたので、競技から退こうと。ただ、走るのをやめるわけではありません。僕は400メートルと800メートルの世界記録を持っていますし。

金丸:それはすごい!

山本:そもそも競技人口が少ないというのもあるんですけどね。だけど、これからもパラの種目かどうかは関係なく1,500メートル、5,000メートル、1万メートル、ハーフマラソン、フルマラソンと全部やりたいと思っています。

金丸:今やっておいたら、全部世界一として名前が残せますね。

山本:それに話題性もあるかなって。メディアに取り上げられないと、障害者スポーツはなかなか広まっていかないので。

金丸:今後はやる側だけでなく、教える側、支える側としても活動されていくわけですね。

山本:パリパラリンピックでも、トレーナーとしてサポートしている選手が参加したので、僕も現地には行きました。

金丸:スポーツに携わる立場として、これからは新たなステージでの挑戦が待っている。そんな山本さんが、これまでどんな人生を歩まれてきたのか、いま、何を考え、何をしようとしているのか。今日はじっくり伺いたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

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