SPECIAL TALK Vol.121

~スポーツの喜びをより多くの人が体験できるよう、これからも挑戦はやめない。~


甘えられない環境に身を置き、アスリートとして開花


金丸:事故のあと、高校はどうされたんですか?

山本:通っていたのが進学校だったんですが、とりあえず復帰して、何をしたいかを考えました。それで自分がこういう状態になったことで興味が湧いた義足を作る人になろうと、義肢装具士の資格を取るための専門学校に進学しました。

金丸:実際に義足をつけているから、義足が必要な人の気持ちも分かりますよね。

山本:そして、そこでスポーツ用の義足と出合ったんです。スノーボードは通常の義足でやれたんですが、ちょうどその時期、スポーツ用の義足が日本に多く入ってきたタイミングで。

金丸:運命ですね。

山本:デザインもかっこいいし、「付けて走ってみたい」というのが最初に思ったことでですね。それから本格的に陸上を始めて、2年目には100メートル走で日本記録に近い記録を出すことができました。

金丸:陸上が合っていたんですね。

山本:ほんとに。ただ、専門学校ではひとりで練習するのが基本でしたが、これではモチベーションが続かない。だから部活のようなかたちで取り組みたいと思って、大阪体育大学の体育学部に入学しました。それに、大学では「なぜこの練習が必要なのか」を理解できたことが、練習のモチベーションにつながりましたね。

金丸:ただの根性論ではなく、「スポーツ生理学的に必要」となれば逃げ場がなくなりますし。

山本:まさに。仲間がいて知識をつけて、健常者と同じ練習をすれば、絶対に強くなれるはずだ、と。

金丸:結果、本当に強くなった。

山本:「生まれて初めて」と言えるくらいに頑張りました。それができたのは、環境のおかげです。親には「本気で陸上をやるから大学に行かせて!」と頼んだんですが、専門学校に大学と、親にダブルでお金をつぎ込ませてしまった。約束した手前、責任感も生まれました。

金丸:大学卒業後は、どちらに就職されたんですか?

山本:最初はスズキに入社しました。

金丸:地元の優良企業に。じゃあ、静岡に帰ったんですね。

山本:というよりも、陸上部があったからスズキを選びました。午前中は普通に仕事をして、午後は陸上の練習ができる。しかも、引き続き大阪体育大学で練習できるように、配属先が関西になるよう配慮してくれました。

金丸:素晴らしいですね。ちなみにご兄弟は?

山本:兄はヤマハ発動機、弟は浜松ホトニクスに。

金丸:みんな地元の優良企業。優秀な3兄弟ですね。

山本:でも僕だけプロに転向し、先行き不透明な世界に突っ込むことになるんですが。

金丸:プロに転向されたのはいつ、何がきっかけだったんですか?

山本:2016年のリオパラリンピックがきっかけです。大会前に世界記録を更新し、「これなら金も!」と意気込んでリオに行ったんですが、結果は銀メダル。それがすごく悔しくて。プロへの転向に不安がなかったわけじゃないし、結婚したばかりでしたが、妻が「私の稼ぎだけでもやっていけるから」と応援してくれました。

金丸:なんと、いつの間に結婚されていたんですか(笑)。奥様とはどこで出会ったんですか?

山本:妻は小学校の先生です。その学校で講演をする機会があって。

金丸:すごい。ちょっとしたチャンスも逃さない(笑)。

山本:向こうは付き合う気も、結婚する気もなかったようですが、僕がぐいぐい押した結果です。

金丸:だけど、山本さんのやりたいことを応援してくれる、いい奥さんですよね。

山本:妻だけでなく、子どもたちにもずっと支えてもらっています。もう感謝しかないです。

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