「は、はい…もしかして美香ちゃんの」
「初めまして、麻人です。びっくりさせてごめんね、美香から先に行っててと頼まれて」
手にしたスマホを見ると、美香からのLINEが来ている。
『アカリちゃん、ごめん!!マンションの水道管の故障で、部屋が水浸しになっちゃって…。業者さんを呼んだらすぐに家を出るから、麻人と先に合流してて』
「美香ちゃん、朝から大変だ…」
事態を把握したアカリに、麻人は同調するように眉尻を下げる。
「美香、かなり慌てていて。俺もとりあえず待ち合わせに向かわなきゃって…。ひとまず、中に入ろうか」
「はい…」
言われるままに麻人と入店したアカリだが、どこか落ち着かない。
― 美香ちゃんの彼とはいえ、初対面の男性とふたりきりなんて気まずいよ…。何を話せばいいの?
アカリの目は泳ぎ、身体がこわばっていく。
この数ヶ月は、CAの研修で女性に囲まれていたため平穏な生活を送っていたが、アカリは男性に対してトラウマがあるのだ。
昨年、半年ほど付き合っていた孝一との苦い思い出が、吐き気のように込み上げてくる。信頼していた彼に婚約者がいたと知った時の、あの苦しみ。
孝一が狡猾だったのか、アカリの経験が浅かったのかはわからない。けれどとにかくアカリは、婚約者の存在に一切気づかずに、孝一と関係を深めてしまった。
彼の裏切りを知って以来、男性が何を考えているのかわからず、無条件で怖いと感じてしまう。
― 孝一さんと麻人さんは、全くの別人。そんなことわかってるのに…。
「アカリちゃん、大丈夫?」
様子がおかしいことを悟った麻人に、アカリは声をかけられる。
「あ、いえ。ごめんなさい…元気です。ちょっと緊張してしまって」
「でも、顔色が…」
「あの…私、男性とふたりきりになると落ち着かなくて。実は…」
初対面の人に話すことではない、と思う。
しかし、ほかに話題も見当たらない。
覚悟を決めたアカリは、麻人にドバイに渡るまでに経験した出来事について説明し、今はそれゆえに男性不信気味なのだと告白した。
「そっか…。それは辛かったね」
時折うなずきながらアカリの話を聞いていた麻人は、アカリが徐々に落ち着いてきたのを確認してから、ゆっくりと口を開いた。
「実は、俺の身近にもあったよ。不倫未遂のような話」
「え…?不倫の話って、そんなに身近にあるものなんですか?」
「俺は直接巻き込まれたわけではないから、アカリちゃんの気持ちは計り知れないけど…。信頼している人が不倫に手を染めようとしていたのを知って。裏切られたというか、すごくがっかりした」
「ああ、わかります。がっかり…ですよね。こんな人に関わっていたという、自分にも失望しました」
「アカリちゃんは、自分を責める必要はないよ」
アカリは、ぎゅっと目を閉じて言葉を振り絞る。
「でも…もう私、男性が怖いんです。それに、そんな男女が蔓延する東京の街も」
話をしている間じゅう、アカリが緊張しないようにとさりげなく目線を外していた麻人が、初めてアカリの目を見据える。
そして、あくまでも優しいトーンで、しかしはっきりと告げた。
「アカリちゃん。酷なようだけど…それは東京だけじゃない。地方の街でも海外でも、男女が存在し結婚制度がある以上、不倫や裏切りはどこにでも存在する」
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