僕は早稲田大学時代から、神保町の古書店によく足を運んでいた。
そして神保町にある大手出版社に就職し、編集者として勤めて12年。
最初の配属は、小学生向けの雑誌だった。当時の自分は、知育付録の企画や試作に夢中になりすぎて、いつも目がバッキバキだったと記憶している。
「せっかくの横浜流星似イケメンが台なしだな」と、編集長によくからかわれていた。
― 横浜流星…くんって、まだ10代じゃないか!似てないと思うけれど…。
それから、アウトドア雑誌に携わること6年。クライミングに興味を持ち、ボルダリングジムに入会。上級者レベルのコースを登れるまでになった。
そんな経歴の僕が、どういうわけか3ヶ月前から、人気女性誌のWeb媒体で編集者をしている。
畑違いにも程がある部署異動。副編集長の三橋さんから直々に指名されたのだった。
去年の11月ごろ、三橋さんは突然言った。
「私、3月から産休と育休に入るのね。だから、林くんに副編集長を引き継いでもらいたいんだけど、どう?」
「…僕、ですか?」
三橋さんは、小学生向け雑誌の編集部時代にお世話になった先輩。僕が異動になったあと、彼女もまた文芸誌で経験を積み、3年前に今のファッション誌に異動になった。
「女性ファッション誌…ってことですよね。逆にご迷惑をおかけすることになると思いますよ」
「大丈夫!ファッション誌っていっても、Webコラムの配信がメインだから。編集長は私が一番信頼してる先輩だし、引き継ぎ期間が終わってからもサポートするから安心して」
突然の申し出に返答できずにいると、キラーワードが飛んできた。
「昔からよく知ってる林くんだからこそ、ぜひお願いしたいんだけどな」
「…いや。ほかにもっと適任な方がいますって」
「もしほかの人に任せることになったら、私、産後1ヶ月で職場復帰しちゃうよ?」
「そんな、無理しないでください!本当にもう…」
戸惑う僕に、彼女は最新号の雑誌を手渡してきた。表紙では、ドラマでも見たことがあるモデルが、キラキラしたニットを着て微笑んでいる。このニットは、ファッション用語では何か名前が付いているのだろうか。
「じゃあ、読んでおいてね。来月からお願いね」
「え?あ、来月っ!?」
こんなふうにして、何もわからないまま飛び込んだ、ファッション誌のWeb媒体。気がつけば副編集長になって、あっという間に3ヶ月近くが過ぎていた。
1人残っていた夜の編集部。
ふと目にした原稿のタイトルに、僕は身震いする。
カレーを食べようと思っていた気分は吹き飛び、体が芯から冷えていくのを感じる。
『“そういうとこ”って思われちゃうかも?男女共通、好きな相手にやってはいけないこと5選』
― これって、僕がさんざん言われてきた言葉じゃないか。
「そういうとこ」と言い残して、僕のもとから去って行った女性が、3人もいるのだ。
時には怒りをにじませ、時には詰問するかのように、そして時にはため息交じりで。三者三様に、彼女たちは同じセリフを僕に言い捨てた。
今思うに、間接的なダメ出しなのだろう。
「そういうところが良くないよ」という言葉の短縮形で、「自分で察しようよ」とか「空気を読もうよ」という意味が隠されている。
― だけどさ。
「そういうとこって。それだけじゃ…どういうとこかわからないよ」
僕はポツリとつぶやき、記事に答えを求めるかのようにタイトルをクリックした。
1.「だから言ったのに」と、相手の行動にダメ出しをする
― なるほど、これはやってない。
安堵したのも、つかの間。
「あれ、林くん?」
突然、背後から声をかけられた。
僕は「ヒャッ!」と情けない声を上げて、体をビクつかせる。
振り向くと、そこにいたのは…。
この記事へのコメント
とりあえず以前の辛気臭い昭和の家売る話よりは期待できそうな連載! 今のところは。
軽快でテンポがいいし、なんか主人公がいいヤツっぽい。次回が楽しみ!