SPECIAL TALK Vol.106

~日本における医療の弱みはウェルビーイングの浸透で改善できる~


救急医から泌尿器科へ。アメリカでも武者修行


金丸:泌尿器を専門にされたのは、どんなきっかけがあったのですか?

堀江:大学卒業時点では、まだ専門をはっきりと決めていなくて、紆余曲折がありました。今は医学部を卒業して国家試験に合格すると、2年間の研修期間があります。でも、私たちのときはそんな期間はなく、卒業したらすぐ専門に進むことになっていました。

金丸:専門を決める時間的な余裕がなかったんですね。

堀江:最初は精神科に行こうと思っていました。ただ、実習で精神科病院に行ったときに、ちょっと無理そうだなと感じて。最近は随分と環境が変わりましたけど。

金丸:昔は患者を閉じ込めておくような意識が強かったと聞きます。

堀江:それでどうしようと悩んでいたときに、東大病院に救命救急センターができて、友達と一緒に話を聞きにいってみると、すごく人間味あふれる先生がいらして、「明日からおいで」と。

金丸:では、最初は救急にいらっしゃったんですね。

堀江:はい。あとで分かったんですが、そこは東大病院中のならず者が集まるところで。

金丸:堀江さんは何も知らずにならず者の巣に(笑)。

堀江:ほかの科が持て余した人が集まってくるところだから、自分から行くような場所じゃない、という(笑)。ただ、救急はほかと比べても機材はハイテクだし、技術も高くて、ほかの科から「心臓が止まった」と連絡が入れば駆けつけて心臓を動かし、「重症の人がいる」と連絡があれば、対処に出向いていましたね。

金丸:格好いいじゃないですか。

堀江:ならず者の集まりなので、「研究ばかりしてるやつらは要らない」みたいな、“東大内科撲滅論”を毎日のように聞かされていました(笑)。その影響で、軽口を叩きながらあちこちの科を回っているうちに、「あいつ、面白いな」と思われたようです。泌尿器科から「アメリカに留学させてやるから、うちに来ないか」と声がかかりました。

金丸:それだけ目立つ存在だったんですね。

堀江:もともとアメリカに行きたいと思っていたわけではなかったんですが、当時、先端医療だった腎移植を経験できるということで、渡米することに。

金丸:アメリカのどちらに?

堀江:テキサス州のダラスです。銃撃されたジョン・F・ケネディが運び込まれたことでも知られるパークランド記念病院にお世話になりました。そこが腎臓と泌尿器の先進医療の聖地だったので。

金丸:ダラスって、その頃、かなり治安が悪かったんじゃないですか?

堀江:そうですね。銃で打たれた人がよく運び込まれていましたよ。

金丸:日本では考えられません。

堀江:でも実は、銃で撃たれた人の7割以上が、身内や知人に撃たれているんです。そして、撃たれる場所はお尻が多い。

金丸:殺したくない、という意識が働くんでしょうか?

堀江:そのようです。お尻を撃たれると、膀胱などを損傷することも多く、泌尿器科に運ばれてきます。マフィアみたいな人たちがリハビリを兼ねて、車椅子でバスケットをやっているのをよく見ました。「ふざけんな」と叫びながらプレーしていましたね。

金丸:ダラスにはどのくらいいたんですか?

堀江:3年いました。普通は研究だけやってもっと早く帰るんですが、私はすぐ帰るのは面白くないので、現地で勝手に医師免許を取って、臨床もやっていました。

金丸:勝手に(笑)。そんなことして怒られないんですか?

堀江:最後は「バカ野郎、早く帰ってこい」と(笑)。パークランド記念病院にずっといられるようなポジションも用意してもらったんですが、「東大の先生を怒らせちゃまずいかな」と思って、帰国を決めました。

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