SPECIAL TALK Vol.106

~日本における医療の弱みはウェルビーイングの浸透で改善できる~


医師を目指したことで父との確執が生まれる


金丸:成功体験も得て、これから羽ばたいていきそうですが。

堀江:ところが今度は、父の商売が傾きました。まず、中3の頃にオイルショックが起きて。

金丸:株価にも影響が出ますね。

堀江:私立に通い続けていいものか悩みましたね。部活も続ける気がなくなって。実は、思い出そうとしても、高校1年生の記憶がほとんどないんです。2年生以降はちゃんと思い出せるんですけど。

金丸:医学部を目指したのは、いつ頃からなんですか?

堀江:明確には、高校3年生からです。ある日、父が「母さんが乳ガンになった」と。母は口止めしたようですが、おそらく父はひとりで抱えきれず、私にしゃべったんでしょう。

金丸:当時、乳ガンといったら大ごとです。

堀江:ガン=死という時代なので、私もすごいショックで。そして、母はたまたま今でいう、セカンドオピニオンを受けたんです。「外国帰りの先生がいる」というので、そこで超音波検査をしてもらいました。すると、水が溜まっているだけかもしれないと。注射器を刺したら、実際に水が出て、「これで大丈夫です」と。

金丸:拍子抜けだけど、良かったですね。

堀江:当時、乳ガンの診断は基本的に触診で行っていました。ガン検査を多数行っている病院ですら、超音波検査の機器もないくらい。ガンを疑われたら手術して、「切ったけど、ガンではありませんでした。おめでとうございます」というのが当たり前の時代です。

金丸:切っちゃったのに、「おめでとう」なんて、今では考えられません。

堀江:家に帰って、母から「大丈夫だった」と聞いたときのことを、今でも覚えています。蛍光灯がぱーっと明るくなったように感じました。

金丸:そのくらい、いい意味での衝撃を受けたんですね。

堀江:周りに医者はいなかったし、私の頭にも医者になる選択肢はありませんでした。でも「人を瞬間的に明るくできる仕事だ」と感動して、医者になりたいと思いました。ところが父が大反対。父は、私を東大の法学部に行かせたがっていたので。

金丸:それはまたどうして?

堀江:自分が断念した道を歩いてほしかったのではないでしょうか。

金丸:お父様は銀行に就職したかったんでしたね。

堀江:それで「一時の感傷で男子一生の仕事を決めるな」と。

金丸:お父様は仕事を辞めているのに、「一生の仕事」と言われても困りますね(笑)。

堀江:ほんとに(笑)。それに、秋田での子ども時代の体験から、「医者・芸者・役者は、ろくでもないもんだ」と言うんです。保険制度ができる前は、毎年暮れになると、医者が看護師さんを連れて、裏口から集金に来たらしいんです。だから父にとって医者は、門をくぐって表から来られない、けしからん職業だと。

金丸:そんなにネガティブなイメージをお持ちだったんですね。

堀江:しつこく反対されるものだから、こっちも意地になるし、喧嘩もしました。受験前の10月、言い争いになってカッとなり、父のラジオをぶん投げたこともありますよ。

金丸:お父様が短波放送を聞いていたラジオを。

堀江:はい。父はひょいと避けて、ラジオが畳に斜めに突き刺さりました。

金丸:昔のラジオは大きかった。お父様に当たらなくて良かった。

堀江:随分あとになって、母から聞いたんですが、いよいよ受験だというときに、父は東大医学部の事務室に電話して「おたくの卒業生はちゃんとやっているんですか」と聞いたらしいです。笑っちゃいました。

金丸:心配していたんですね。ちょっとほほ笑ましいじゃないですか。

堀江:だけど、父が亡くなる5年くらい前まで、ずっとグチグチ言われ続けましたよ。ちょっとバカにする感じで、私を「ドクトル」と呼ぶんです。それから、最後の10年くらいは寝たきりになり、喉を切開してチューブを入れていたんですが、私が週に1回交換するときに必ず「ヤブ医者」って言ってましたね(笑)。

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