SPECIAL TALK Vol.106

~日本における医療の弱みはウェルビーイングの浸透で改善できる~


小学生時代の呼び名は「九十九里の神童」


金丸:早速ですが、堀江さんはどちらのお生まれですか?

堀江:東京都大田区ですが、しばらくして千葉の九十九里に引っ越しました。小学生の頃は「九十九里の神童」と呼ばれていましたね(笑)。

金丸:では小さい頃から優秀だったんですね。ご両親もお医者さんだったのですか?

堀江:どちらも違います。父は秋田県の湯沢というところの生まれで、父の両親、つまり私の祖父母は早くに亡くなりました。その後、父はおばに預けられ、大学進学で東京に出てきました。

金丸:たしか、堀江さんは東京大学のご出身でしたね。ひょっとしてお父様も?

堀江:そうです。

金丸:親子そろって優秀ですね!

堀江:ただ、父は就職するにあたってすごく苦労したようです。最終面接までは進むけど、日本銀行や日本勧業銀行からなぜか内定がもらえない。私から見ても父は変わり者だったので、それが理由なのかもしれませんが、父は「両親がいないから落とされたんだ」と言っていました。

金丸:たしかに昔は、そういう理由で採用されないことがあったように記憶しています。「女性は実家住まいじゃないと落とされる」と、まことしやかにいわれていました。

堀江:結局、父は海運会社に就職しました。それなりの成績を上げて第一勧銀にも出向させてもらい、会社ではかわいがられたようです。

金丸:実は、私の父も海運業界で働いていました。私たちの親世代だと、海運はそれでも花形だったじゃないですか。景気の影響をモロに受ける、浮き沈みがある業界でもありましたが。

堀江:父の会社も吸収合併がありましたね。でも浮き沈みどころか、ある日突然、父は会社を辞めました。

金丸:えっ!それもうちの父と同じです。運命を感じますね(笑)。お父様は次に何をされたんですか?

堀江:それが、「俺は小説家になる」と。

金丸:ええっ、小説家!?すごい急展開ですね。

堀江:それで東京の家を売って、家族全員で千葉に引っ越しました。父はペンネームもすでに考えていて、なんとペンネームが入った原稿用紙を1,000枚も作って。

金丸:気合十分ですね。お父様の小説は堀江さんから見て、どうでしたか?

堀江:どうもこうも。生涯1枚も書かなかったと思います。1行くらいは書いたかもしれませんが、作品としては何も残っていません。

金丸:小説家になると言ったのに、小説は書かなかった。じゃあ、堀江家はどうやって生活していたのですか?

堀江:父は投資家になったんです。毎日、ラジオで短波放送を聞いて、株の取引をしていました。相場は15時に終わります。そのあと学校から帰ってきた私と一緒に遊んだり、テレビで相撲を見たり。

金丸:では、株で儲ける才能があったんですね。

堀江:普通の家だったら、「お父さん、いってらっしゃい」って子どもが見送りしていたのに、うちの父は起きるのは遅いし、ずっと家にいるから「お父さん、お帰りなさい」もない。特殊な環境でしたね。

開成中学校に進み、方言に悩まされる


金丸:ちなみにお母様はどんな方だったんですか?

堀江:母の実家は、銀座で食べ物屋を営んでいました。祖父が始めた、天ぷらの『銀座天一』という店です。

金丸:そうなんですか!知ってますよ。

堀江:祖父は非常に面白い人で、冷蔵庫と換気扇を日本で最初に店舗に導入したそうです。冷蔵庫は天ぷらのネタを冷やしておくため、換気扇は揚げるときに出る煙を外に出すために。

金丸:両家ともユニークですね。

堀江:『銀座百点』という70年くらい続いているタウン誌がありますが、私の母は創刊号から編集にかかわってきました。その母の一番下の弟の家庭教師としてやってきたのが父。そこで両親は出会ったそうです。

金丸:今の話だと、ひょっとして、お母様のほうが文才があったのではないですか(笑)。

堀江:そうかもしれません。おそらく、母もロマンチストだったんですよ。だから、いきなり東京から引っ越すと言う父についていけた。

金丸:お母様はグチも言わず?

堀江:そうです。今となっては、父は東京から離れたかったのかな、とも思います。母方のほうが商売をしていて、そこに組み込まれたくなかったのかもしれません。

金丸:そういうご両親のもとで、堀江さんはどのように育ったのでしょうか?なんとなく、悪さはしていないような。

堀江:九十九里ののんびりした田舎で育ちました(笑)。そういえば、小学校の壁に「大声、バカ声、バカ丸出し」というスローガンが書いてあって。

金丸:大きい声を出すなと?私なんか、すぐに叩き出されそうですけど(笑)。

堀江:それから学校の先生がよく「月給取りになれ」と言っていましたね。

金丸:日払いが当たり前だったのが、月給をもらうサラリーマンが増えて、会社勤めの付加価値が高くなった時代ですからね。ところで、中学校も地元の学校に?

堀江:いや、中学と高校は開成に通いました。

金丸:九十九里から東京の進学校へ。進学にあたって、ご両親の後押しがあったのですか?

堀江:ありました。高度成長期だったこともあり、父の株取引はかなり調子が良かった。だから、いい教育を受けさせようと考えたみたいです。戦前の町長が開成出身で、それ以来うちの小学校からは何年かおきに開成に入っていたので。

金丸:でも、九十九里から開成って、通える距離じゃないですよね。

堀江:景気がいいものだから、父が学校の近くに家を借りてくれて。ときどき母や親戚が来てくれました。

金丸:堀江さんはどんな中学時代を過ごしたんですか?

堀江:実は、最初につまずきました。学校のみんなで遊んでいるときに、ふとした拍子に方言が出てしまって。

金丸:方言といったって、千葉だからそこまでじゃないでしょう。

堀江:そうでもないですよ。たとえば、「疲れた」は「おいね」なんです。「おいねっぺや」と言うと、みんなが「えっ?」って。それから、イントネーションもちょっと変わっていた。それで、気になってしゃべれなくなってしまいました。

金丸:多感な年頃ですからね。

堀江:授業中に先生に当てられて、答えが分かっていても発言できない。

金丸:それは悔しい。でも、ずっとそのままだったわけじゃないでしょう?

堀江:悔しさを勉強にぶつけました。入学当初はビリに近いくらいだったんですが、たまたまある試験でクラスで一番になって。

金丸:普通は、いきなり一番なんてなりませんよ(笑)。

堀江:まだ中学1年生ですから、みんなは多分、そこまで勉強してなかったんじゃないかと。でも、それで自信がつきました。

金丸:部活もしていたんですか?

堀江:小学校のときから剣道をやっていました。千葉にいたときは、警察に習いにいっていましたね。

金丸:警察の剣道ってレベルが高いでしょう。

堀江:小学生なので、そこまでではありませんでした。中学でも剣道部に入って続けたんですが、私たちの上の学年が優秀で、東京都で優勝したんです。

金丸:すごいですね。

堀江:私も結構頑張って、東京都で準優勝し、全国大会に行きました。

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