2023.02.01
ソラノシタ〜成田空港物語〜 Vol.1麻衣子は、ターンテーブルの前に20分ほど立ち尽くしていた。
― あのスーツケース、私のと似てる。ずっとまわってるけど…どうしたのかな。
最後の1個になった黒いスーツケースが、誰からもピックアップされていないのだ。
流れていくスーツケースを、目で追っていたときだった。
航空会社の制服を着た女性職員が、スーツケースをターンテーブルから下ろし、脇に置いた。それから、麻衣子のほうに視線を向けると、スッと背筋を伸ばして歩いてくる。
「あちらのお荷物は、お客様のスーツケースではございませんか?」
「似てる…というか、多分同じものです。けど、私のじゃないです」
少し距離を保ったところで立ち止まったのは、感染症対策なのだろう。麻衣子はそう思いながら、職員を見た。
― 細身で、長身。ピシッとまとめられた夜会巻き。いかにも航空会社の職員さんって感じで素敵…。
目から下はマスクで隠れているものの、柔らかい笑顔を向けてくれていることが想像できる。
「失礼いたしました。では、お客様のバゲージクレームタグを見せていただけますか?」
女性職員は、バゲージクレームタグの控えを受け取ると、例の黒いスーツケースにつけられたものと照らし合わせた。
― この人、“HANEDA”さん…っていうんだ。羽田空港のハネダ?ここは、成田なのに。
胸元のネームプレートに書かれた“HANEDA MIKA”という名前が、やけに印象的だ。
そのハネダさんは、無線機のようなもので、何やらやり取りを始める。次の瞬間、険しい顔をしたと思ったら、頭を下げてこう言った。
「お客様、大変申し訳ございません」
ハネダさんからの丁寧な謝罪に、次の言葉は“ロストバゲージ”に違いないと麻衣子は身構える。
思い当たるのは、昨日到着した経由地の韓国に、入国しなかったこと。
ヒースローから成田まで、スーツケースをダイレクトに預ける「スルーバゲージ」にしていたのだ。
そのせいで、成田行きのフライトに搭載するのを忘れられてしまったのかもしれない―。そう思った。
ところが、彼女の言葉は違った。
「お客様のお荷物は、成田空港に確かに到着しています」
「あぁ、よかった…。それで、どこにあるんですか?」
「ほかのお客様が、間違えて持って行ってしまった可能性があります」
「それってもしかして…。このスーツケースの持ち主が、ってことですか?」
確かに、同じリモワのスーツケースだ。
けれど麻衣子のほうには、花の刺繡付きのネームタグがついているはずだった。同じ学校に通っていたイギリス人の友達が、作ってくれたものだ。
― こんなことって、本当にあるんだ。
麻衣子は、失われたスーツケースのことをぼんやり考えながら、留学を決めたときの自分に思いを馳せる。
コロナが流行し始めた頃。
フラワーアレンジメントが長年の趣味だった麻衣子は、フラワーショップに行くことだけが、唯一の楽しみだった。
花を見ると、心に彩りが添えられるように感じたからだ。
― 仕事以外、何もない毎日だけど、花があるだけで気分が明るくなるんだよね。
そのうちに、花に関することを仕事にしたいと本気で思うようになると、8年勤めた出版社をスパッと辞めた。
今しかないと思ったのだ。ほとんど、勢いだった。
家族や友人の反対を押し切り、コロナ禍にもかかわらずイギリスに渡ったのは、本場で勉強するためだ。
慣れない国での生活は、大変なことも多かった。それでも、学んでいるあいだは、いつも気持ちが高ぶっていた。
― でも…今の私はどうだろう。あのときの情熱は、いつから失われ始めたんだろう。
いよいよ、1年の留学の終わりが見えてきたときだった。
帰国の日が迫ってくると、まだ学びたいことが山ほどあることに、麻衣子は気づき始めていた。
とはいえ、学ぶ身では収入もない。貯金を切り崩して1人で海外生活を続けていくのには、想像の何倍も精神的なタフさが必要だった。
海外から、日本にいる友人に電話をして相談するのは気が引けたし、アラサーなのに結婚を考えるような相手もいない。
そもそもこのご時世だ。異性との出会いも限られる。
孤独だな、と強く思った。
いつまた、コロナで生活が一変するかもわからないという不安もつきまとう。
麻衣子はやりたいことをやっているのに、「このままでいいのだろうか」と頭を悩ませた。
ついには、将来への不安を理由に、逃げるように帰国を決めてしまったのだ。
◆
「お客様。恐れ入りますが、ここで少しお待ちいただけますか?」
麻衣子は、ハネダさんの言葉で現実に引き戻された。
ぼう然とする麻衣子とは反対に、彼女はスイッチが入ったように動きだす。
まだ人が集まっているあたりに向かっていくと、大きな声で黒いスーツケースの持ち主の名前を叫び始めた。
麻衣子も、それらしい人がいないか目を見張る。
5分後―。
ターンテーブルのあたりが、閑散としてきたときだった。
「あの!すみません」
でも、アラサーで仕事辞めて自分の貯金使って留学したのはたいしたものだなと思った。インスタ映えのために男からお金もらってヨガ留学するより全然いいよ。
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