ある女性との出会い
― ここら辺が蔵前か。最近雑誌で東京のブルックリンって特集してたけど、下町だな。
鮨ディナーの翌日、隆之は、浅草の老舗料亭で大きな商談を終え歩いていた。
港区界隈以外で飲むことの少ない隆之だが、商談が無事に決まった安堵感もあり、浅草から近い蔵前で一杯飲んでいくことにした。
店を探すために歩いていると、1本の路地を入ったところに「BAR」の文字を発見した。ガラス窓からは、ぼんやりとした温かな明かりが漏れている。
隆之は、運命に導かれるように扉を開いた。
「いらっしゃいませ」
品の良いバーテンダーが、にこやかに隆之を出迎えてくれる。店内はカウンターのみだが、造作もよくセンスの良さを感じさせる店のつくりだ。隆之はひと目でこの店を気に入った。
「素敵なお店だね。マッカランをロックで頼むよ」
連日の派手な宴に疲労していた隆之は、知らない土地でひとりバーで飲むという非日常感に高揚していた。
すると、カウンターの奥にひとりの女性が座っているのが目に入った。
― 綺麗な人だな。
その女性は、ひとりでワインを楽しんでいた。
白いTシャツにジーンズというラフないで立ちだが、スッと背筋を伸ばして椅子に座る姿に気品を感じる。
「マスター、あの女性にグラスシャンパンをお願いします」
マスターが、「あちらの男性からです」とグラスを女性の前に置きシャンパンを注いでいたとき…。
「いかにもって感じですね……」
― えっ、“いかにも”ってどういう意味だ!?彼女が言ったのか?
「シャンパンお嫌いでしたか?失礼ですが”いかにもって”どういった意味で?」
「だってひとりで飲んでいる女性にシャンパン奢るなんて、い・か・に・もじゃないですか。昔のドラマみたい」
― 随分と失礼な女だ。
普段、女性から褒め言葉しか聞かない隆之はあっけにとられた。
「ご挨拶もせず失礼しました。不動産会社を経営している隆之です。常連さんですか?」
「私、近くでカフェを経営している誠子です」
隆之は余裕な表情を作り、誠子のカフェ経営の話を聞き出しつつ、左腕に黒く光る時計「ロレックス コスモグラフ デイトナ」をさりげなく見せ、自分の財力をアピールする。
「お、ロレックスのデイトナですよね。私も一度は持ってみたい、憧れの時計です。正規店では入手困難らしく、いまはプレミアがついて500万円前後で取引されてるそうですよ」
年輩のバーテンダーに褒められ、隆之は満足げに微笑む。
このデイトナは、隆之が10年前に起業する際に「この時計が似合う男になる」と、奮発して買った時計だ。
”東京で成功するぞ”という決意を表す象徴的なアイテムということもあり、隆之が大切にしている品だった。
「ロレックス?興味ないなぁ。どうして男性ってブランド物、欲しがるのかしら」
失礼な誠子の物言いに、面白くない隆之はたまらず反撃する。
「男は成功するとステータスを求めるようになるんです。女性だってブランドバッグ、欲しがるでしょ。それと一緒ですよ」
隆之は精いっぱい強がってみせた。「次は、上位モデルを狙ってます」と言いかけて、隆之は言葉を飲み込んだ。そして、こう続けた。
「僕ね、実は九州出身の田舎ものなんですよ。だから、東京で舐められないように、高級時計を身に着けて自分を良く見せようと必死なのかもしれません」
つい先ほどまでは、自信満々だった隆之の突然の自虐に、誠子は驚く。
だが、隆之の思わぬ反応に逆に好感を持った誠子は、子どものような笑顔を見せた。
「隆之さん、正直で楽しい人ですね。シャンパン、せっかくだからいただきます」
この記事へのコメント
一話から穏やかなストーリーで気に入りました。