2022.08.28
1/3の女医 Vol.1
優香と春馬
優香と春馬は、港区立の白金小学校に通っていた。
卒業後は進路が分かれ、優香は東京女学館に進む。
父親が耳鼻咽喉科の開業医ではあるものの、そのころの優香に後を継ぐ気はなかった。母親の理解もあり、伸び伸びとした中学校生活を送っていた。
学校周辺である渋谷界隈は、女子中学生にとって目新しく惹かれるものばかりであり、誘惑に駆られて遊び回ることもあった。
一方で、春馬は早くから医学部への進学を目指して巣鴨中学校に進む。
時が経つにつれて、優香は春馬と接する機会は減っていったものの、彼の名前は時折利用させてもらっていた。
友だちの家に入り浸っている最中に親から電話がかかってきた際、「春馬と一緒だから」と言うと厳しくは追及されなかったからだ。
そんな優香の気ままな生活が、高校に入って一変する。
「今夜は家族3人で食事をするから、予定を空けておいてくれ」
ある日、珍しく父親の昭次が誘ってきた。
3人での外食など、中学に入学して以降は数えるほどしかない。
幼い頃によく連れて行かれた白金にあるレストランで食事をするものの、なんとなくぎこちない雰囲気を感じる。しかしそれは単に、久しぶりの気まずさからくるものではなかった。
「お母さんね、明日から入院することになったの」
突然の告白だった。
雅子に、乳ガンが見つかったのだ。優香はどう声をかけていいものか戸惑う。
「そっか。手術するの?いつごろ?」
なるべく悲壮感が漂わないよう、声のトーンをあげて予定を尋ねる。
「ううん、手術はしないの。放射線治療でなおしていくのよ」
「ふ~ん、そっか。じゃあお見舞いに行くね。退院はいつごろになるんだろう…。欲しいものがあったら何でも言って!」
優香はいつになく饒舌になる。常に声を出していないと、不安で押し潰されそうになるからだ。
「お父さんもしばらく大変だね。クリニック大丈夫?」
雅子は昔、看護師をしていたが、昭次が開業してからは経理や事務を担当してクリニックを支えていた。
昭次は平然とした様子で笑顔を浮かべ、「心配することはないよ」と言った。
それから1年も経たないうちに、雅子は亡くなる。
痛みがなく発見が遅れ、すでに転移が始まっている状態であり、進行も早かったことが要因となった。
亡くなる1週間ほど前にお見舞いに行った際、雅子が「お父さんを支えてあげてね」と告げた。
会話の流れのなかでの何気ない言葉だったが、優香の胸には遺言のように残っている。
そこから優香は心を入れ替えた。医師になることを決意し、医学部を志して猛勉強に取り組む。
なにより、優香には春馬という心強い味方がいた。彼は、優香の性格を熟知しているし、のみ込みが早いことも理解している。
彼に質問を投げ掛けると、少しの説明で多くが理解できるよう、適切な回答が返ってきた。
優香は、受験レースにおいては、ほぼ最後尾からのスタートだったが、驚異の追い上げにより、先頭集団に加わる。
母がいなくなった悲しみを埋めるかのように勉強に没頭した結果、優香は見事、春馬と同じ東京医科大学への現役合格を果たした。
◆
大学に入り、受験から解放された優香は、新たな場所で未知なる刺激を求め、血気盛んな日々を過ごす。
母不在の寂しさが癒えてきた、というのもあるかもしれない。
優香は男性関係においても、積極的に交流しては、知識や経験として自らに取り込んでいった。
春馬と交際を始めたのは、医学部卒業後の研修1年目のときだった。
初期研修期間は多忙を極め、さすがの優香も心身ともに疲弊していた。
そんなとき、愚痴を聞いてくれるのはやはり春馬だった。不満をぶつけても穏やかに受け止め、なだめられると不思議と気分が落ち着き、心地良さをおぼえることから、優香が誘導し、なんとなく交際を始めた。
周りを見ても、医学部の仲間は、許婚に近い関係の相手がいる者は珍しくない。
彼女たちは「恋愛と結婚は別」と口をそろえていう。
学生時代は多少羽目を外して恋愛を楽しむが、結婚は、親が勧める由緒正しい家柄の相手とするのが“当然”という風潮があった。
優香も同様だった。
正直、春馬に対して恋焦がれるような感情はあまりなかったが、親の選んだ相手と一緒になることは、自然の摂理のように思えた。
だから、優香は、医学部を卒業し、初期研修が終わった26歳のときに春馬と結婚し式を挙げた。
だが、刺激を好む優香の性格は、大学時代からあまり変わっていなかった。
実際、結婚式を挙げた1週間後。優香は友人と食事を共にするが、その相手はかつての交際相手であった…。
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