都内から引っ越すことを決めた理由
藤堂さん一家が地方移住を決意した背景には、子育て環境に対する悶々とした思いがあった。
「私も夫も、生まれ育ったのは東京でした。私の母方の実家は代々の政治家一家で、夫の実家も祖父が官僚という国家公務員の家系です。
思えば家柄的な事情で私も夫も、親にすべてを決められて育てられてきました。私は幼稚園から雙葉、そして夫は麻布中・高を経て東大です。
あれはダメ、これもダメ、こうしなさいと躾られ、進路も就職もすべて親に決められてきた。
こうした経験があって、我が子には基本的に「何になれ」という押し付けだけは絶対にしたくない、そんな思いが夫婦の共通の認識としてありました。
ですが双方の実家に長男を連れていくたびに、国会議員になるにも相応の学歴が必要だとか、官僚になるために東大を目指しなさいとか、孫にまで指図してくるんです」(恵美子さん)
自分たちだけでなく、孫に対しても決められたレールを敷こうとする実家に反発するかのように、藤堂さん夫婦は学歴重視の詰め込み教育ではない環境を求めた。
「とにかく自分の力で生きていける能力を備えてほしい、そんな思いで選んだのが国立の小学校(国立大学附属小学校)でした。
長男には今だけは我慢してと毎日5〜6時間、机に押さえつけて受験勉強をやらせて、なんとか合格できたのですが…」(同)
国立大学附属小学校は基本的に国の教育研究機関という位置付けであり、講師は形に囚われず最先端かつ高度な学習方法を実践することができるため、高い競争率と人気を誇る。
しかし現実は、藤堂さん夫婦の理想通りには行かなかった。
「国立ならではなのですが、すべての科目に専科の先生がいて、授業ではほとんど教科書を使わないんですね。
算数で言えば数の概念から入るので掛け算や足し算、引き算といった部分のトレーニングは公立小学校よりもずっと遅い。
ひらがなもカタカナも教えることはほとんどなく、小学校で習うような基本的カリキュラムは自宅や塾で勉強してきて当たり前というスタンスで、結局、家に帰っても勉強、勉強という毎日でした。
それでも合間を見て長男は少年野球を始め、これに本人が夢中になり、もっと本気でやりたいと望んだのですが、明らかに日々の勉強が足かせになっていました。
卒業後の進路にしても、周囲のママ友は我が子を附属や有名私学の中学校に進学させるため、塾通いに躍起になったり…。
あるいはピアノや芸能活動といった、一芸を極めさせようと必死なわけです。
つい自分の子どもにも、それなりに質の高い環境をと考えてしまうことから抜け出せなくて…。
我が子には決められたレールの上じゃない人生を歩ませようとしているのに、気がつけば決められたレールを敷こうとしている自分がいました」(恵美子さん)
一体何がしたかったのか…。そんな悶々とした日々が続くなか、思いもよらぬ転機が舞い込む。
「夫の知人がバイオ技術を駆使した農業法人を立ち上げるということで、取締役という立場で一緒にやらないかと誘われたんです」(同)
その立ち上げ先は、藤堂さん一家にとって縁もゆかりもない、東北地方の山あいにある町だった(※プライバシー保護のため、具体的な地名は割愛)。
「夫はずっと断っていたんですが、いずれは海外展開も視野に入れた事業計画のために…という再三の誘いと熱意に負けて、弁護士事務所を退職して現地に行くと言い出したんです。
最初は単身赴任でと考えていたようですが、夫も考えるところがあり、一度自分たちの住んできた環境を離れて子育てを見つめ直さないかと相談されました」(同)
そうして2020年3月、藤堂さん一家は前途多難とは露知らず、東北へと旅立つ。
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