SPECIAL TALK Vol.85

~自分のためではなく、チームそしてリーグのために。経営者としての強みを異分野で生かしたい~

打ち込んだサッカーを離れ、大学では毎日飲む生活

金丸:サッカーは大学でも続けたのですか?

島田:いいえ。日本大学への進学を機に東京に出て。初めて体験する大都会ですから、楽しいほうへ、楽しいほうへと(笑)。

金丸:高校ではサッカー一筋だったのが、弾けちゃったんですね(笑)。

島田:バイトに精を出して、毎晩飲んでました。

金丸:新潟出身だと、やっぱり日本酒がお好きなんですか?

島田:そうですね。やっぱり体に合う気がします。

金丸:島田さんが大学に入学した頃って、まだバブルの時代ですかね?

島田:バブル末期ですね。でも私は派手な店には行かずに、新宿のゴールデン街の常連でした。あと、ちょっとお芝居をやったりしていました。

金丸:えっ、俳優だったんですか?

島田:オーディションを受けて、萩本欽一さんの「欽ちゃん劇団」に1年くらい所属していたんです。

金丸:欽ちゃんということは、お笑い系?

島田:コントですね。

金丸:お話を聞いている限り、コントに向いている感じがしないのですが(笑)。

島田:そうなんですよ(笑)。周りには子役からお芝居を続けている人もたくさんいました。いろいろ経験してみて、「長く続けていたらなんとかなるかもしれないけど、それまでつらいな」と感じて。それで、芝居を辞めて就職しようと思い立ったのが、大学4年生の秋です。

金丸:周りはもう就職活動が終わっている時期ですね。

島田:みんな決まっていましたね。選択肢がほとんどないなか、それでも50社くらい受けて。

金丸:バブルが崩壊して、就職難が始まった頃ですか?

島田:まだそこまでは。多少はバブルの熱が残っていました。でも私はことごとく落ちて、たまたま1社だけ受かったのが旅行会社でした。ほかに選択肢もなかったので、とにかくここで頑張ろうと。

金丸:そもそも旅行業界で働きたいと思っていたわけではなかった。人によっては、ネガティブになりそうな局面ですが、入ったからには頑張ろうと思うポジティブさがあった。それは、島田さんのもともとの性格なのでしょうか?

島田:どうでしょう。でも環境といえば、うちの両親が自営業だったのは大きいかもしれません。

金丸:何をされていたんですか?

島田:魚屋です。夫婦ふたりで、年中無休でやっていました。だからあまりかまってもらえないというか、3歳くらいまでは祖父母に預けられていました。

金丸:ご両親は相当お忙しかったんですね。

島田:だから、家族旅行なんて一度も行ったことがありません。でも、お店の手伝いをしていると、たまに父が面白い話をしてくれるんです。新潟は鮭が有名で、うちの父も新巻鮭を作っていたんですが、「1,000円で仕入れた鮭を、そのまま売ったら1,500円だ。でも技術を身につけて、切り身にして3つのパックに分ければ、3,000円で売れる。どっちがいいと思う?」なんて。

金丸:すごい!英才教育じゃないですか。

島田:技術や売り方によって利幅が変わるということを、子どもながらに理解しました。

金丸:労働時間で稼ぐのではなく、付加価値で稼ぐ。ビジネスの肝ですね。

島田:私は大学で経営を学んだわけでもなく、社会人になってMBAを取ったわけでもありません。自分の感覚で事業をやってきましたが、それができたのは、父がそうやってサブリミナル的に商売のやり方を刷り込んでくれたおかげだと思っています。

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