菜緒と話したくない。
そんな私の思いは通じることなく、美脚をさらに引き立てるマノロブラニクのピンヒールを履いた菜緒が、私のデスクの前で歩みをとめた。
「…お~、菜緒じゃん!久々だね~」
「よかったら、今からランチ行かない?久々に報告したいことも色々あるし」
「あ、ごめん。今日ちょっと打ち合わせパツパツで」
嘘だ。私はそんな大した仕事を任されていない。絶対に、菜緒の方が忙しい。
「そっか、じゃまた今度ね」
からっとした笑顔で、菜緒は去っていき、そのまま部署の人たちとランチに行ってしまった。
堂々としているのに偉そうでもなく、その颯爽とした姿は目を引く。
更に人気がなくなった殺風景なオフィスでひとり、私は大きく深呼吸した。どうにか自分の気持ちをクールダウンさせたかった。
◆
私と菜緒は同期で、入社当初は2人まとめて“りさなお”なんていう愛称で呼ばれるほどの仲だった。
自分で言うのもなんだけど、私たちは結構モテたし、キャリア志向が強いところもよく似ていた。
『バリバリ働いて早く出世して、でも、ちゃんと30歳までにはいい人と結婚しよーね』
そんなことを、よく語り合ったりした。
けれど、入社3年目で私がデキ婚して以来、関係性は徐々に変わっていった。
私はその後も立て続けに第二子を身ごもり、産休育休をフル活用。29歳で職場復帰したのだが、そのときにはもう菜緒は遠い存在になっていたのだ。
最年少でリーダーを任せられ、宣言通り誰よりも早く出世。年上の部下を従える姿は本当に格好よかったし、仕事に打ち込む姿はイキイキしていた。
いつのまにか“都会の女”然とした洗練されたオーラもまとっていて、すっかり“母親”になってしまった私とは、もう別人だった。
「梨沙子、また一緒に働けるの嬉しいよ~」
それでも菜緒は変わらず私に接してくれたけれど、2人の間にできた溝は深かった。
ここ日系大手企業では、一度“ママさん”カテゴリーに分類されると出世は厳しい。出世どころか、仕事もサポート系の雑務を任されるだけ。
入社以来、半分近くを産休育休にあて、大した経験値や実績もない。さらに当面の間は時短勤務が続く。そんな私に、責任ある仕事やキャリアアップの機会を与えてくれるほど、会社も甘くない。
現実問題、菜緒が手にしたものを、これから私が手にするのは絶望的なのだ。
だけど、私には総合商社に勤める夫と、可愛い2人の子どもがいる。私だって菜緒にないものを持っている。
だから、どうにかプライドを保っていられた。
― …それなのに菜緒が結婚して、順当に子どもを産んでしまったら…。私がただただ負けてしまう。
今まで保たれていた均衡を、一気に崩してしまう。
屁理屈だなんてこと、頭では十分すぎるほどわかっているけど、そういう問題じゃない。
もう全然、冷静になんてなれなかった。
私の中で、何かが崩れていく音がした。
この記事へのコメント
イラッとする内容だったけど1話完結なのでまぁ来週に期待。