あなたは恋人に、こう言ったことがあるだろうか?
「元カレとはもう、なんでもないから」
大人に“過去”はつきものだ。経験した恋愛の数だけ、過去の恋人が存在する。
だから多くの人は、1つの恋を終わらせるごとに、その相手との関係を断ち切っているだろう。
しかし“東京のアッパー層”というごく狭い世界では、恋が終わった相手とも、形を変えて関係が続いていく。
「今はもう、なんでもないから」という言葉とともに…。
2020年8月
11階へと向かうヒカリエのエレベーターの中は、私と健作の2人きりだった。
「ねえ、千秋さん。今だけマスク取ってもいい?」
彼はそう言うと、私がうなずくのを待ってブルーの不織布マスクをそっと外す。
「前はオフィスでも毎日会えてたのに、今はこうして健作が目の前にいるのが夢みたい」
少し照れながら言うと、彼も同意するように微笑む。そして私のマスクを素早くずらすと、右手でそっと頬を撫でてくれた。
― もっとこうしてたいな…。
うっとりとそんなふうに考えていたのも束の間。エレベーターの機械的な到着アナウンスが鳴るのと同時に、私たちは慌てて体を離す。
到着したシアターオーブ前の広場は、昨年までは考えられなかったほどガランとしている。
誰にも見られていないとわかりつつも、お互いに照れ笑いを浮かべるこの時間が、夢みたいに幸せだった。
ネットサービス会社に転職して、この夏で2年。
2歳下の健作とは同僚として出会ってすぐに交際が始まったため、付き合いも同じく2年になるけれど…。彼の優しい瞳は、いまだに出会った頃と同じように私をときめかせる。
『THE THEATRE TABLE』に併設されているコーヒースタンドで、ホットサンドとカフェラテのテイクアウトを注文する。
そして今が勤務時間中の昼休みであることも忘れて、私は健作に甘えた声を出した。
「ねえ、健作。今年は断念したけどさ…。来年の2021年には、ハワイで挙式できるかなぁ?私、来年はもう32歳になっちゃうよ」
この記事へのコメント
あと雛乃ちゃんの転職が元カレに再会するためじゃないといいなぁ。
ガムシロ1つじゃ足りないって分かってて、あえて聞くかな?ポロっと出る言葉じゃないよね。
千秋が絶賛するように気を遣える子なら、ガムシロいくつか持ってきて、いくつ使いますか?とか、多めに持ってきたので好きなだけ使ってくださいとか言えるよね。