SPECIAL TALK Vol.82

~ハンドボール文化を日本にも。プレーヤーとしての挑戦は試合だけじゃない~

土井:すごいですよね。その話を聞いたときは、自分の親ながら、父はかっこいいなと思いました。

金丸:ところで、ご両親はなぜフランスから日本へ?

土井:母は結構ストレスを抱えてしまうたちなんですが、フランスでの生活に疲れてしまったみたいで。

金丸:お父様は日本語を話せたのですか?

土井:それが、「こんにちは」と「ありがとう」しか知らなかったそうです(笑)。

金丸:それでも日本に来るというのは、愛の為せるわざですね。その頃、多古町ではまだ、外国人は珍しかったのでは?

土井:しかも田舎ですから、すごく目立ったみたいです。当時はまだ外国人に対する警戒心もあったようで、最初のうちはいじめや差別を経験したそうですが、今では多古町でレストランをやっていて、一昨年には料理人50周年を迎えました。

金丸:半世紀ですか!素晴らしい。お父様はどんなジャンルのお料理を専門とされているんですか?

土井:パリではフレンチをやっていたようですが、日本では敷居を下げようとイタリアンに切り替えて、一からピザの勉強を始めたそうです。生地もソースも全部オリジナルで、完全なイタリアンというより、日本風にアレンジして、納豆ピザやナスとショウガを使ったピザなんかもあります。最近はハンバーガーも出していますね。

金丸:『タコピザ アンド バーガーズ』というお店ですよね。研究熱心で、柔軟な思考力をお持ちなんですね。そこは土井さんにも受け継がれているように思います。

土井:フランス人が日本でイタリアンをやるというのは、ちょっとよくわからないですけどね(笑)。

金丸:土井さん自身は、小さい頃から日本語とフランス語のバイリンガルだったんですか?

土井:日本に来たときは、ほとんど日本語は話せませんでした。父は父で日本語を勉強しはじめ、日仏ごちゃごちゃの会話になり、そのせいで僕はフランス語をどんどん忘れて。だからフランスに渡り、苦労してバイリンガルになりました(笑)。

小学生で運命を感じた、ハンドボールとの出合い

金丸:小学校は多古町の学校に?

土井:いえ、隣の富里市に通っていました。祖父母の強い希望で多古町に住んでいたのですが、住民票は母の自宅がある富里市にあったので、幼稚園から中学校まで、毎日車で送ってもらっていました。親も大変だったと思います。

金丸:それは大変ですね。子どもの頃はどんなお子さんでしたか?

土井:読書が大好きで、放課後もずっと本を読みながら帰っていましたね。ただ学校の勉強にはずっと違和感があって。学校で習うことは将来本当に必要なのかと。だからなるべく勉強する時間を減らしたくて、授業中は一切寝ないで集中して勉強していました。

金丸:ということは、成績もよかったのでは?

土井:常にトップクラスでした。でも授業よりもほかに必要なことを学びたい、という気持ちが強かったですね。

金丸:もちろんスポーツもやっていたんですよね?

土井:はい。でもハンドボールではなく、小学生からゴルフと社交ダンスを。

金丸:ゴルフはまだわかりますが、どうしてまた社交ダンスを?

土井:ゴルフ好きの祖父と、社交ダンス好きの祖母の影響です。両親も「社交ダンスができると将来かっこいいね」と。

金丸:しかし、社交ダンスを習っている小学生って少ないでしょう?

土井:僕だけじゃなくて、兄と妹も習っていたのですが、同世代がいないから、コンテストではきょうだい全員優勝するんです。どんどん昇級して、先生の資格が取れるまであと2階級というところで、ほかにやりたいことが見つかりました。

金丸:いよいよ、ハンドボールと出合うわけですか。

土井:そうです。小学3年生、8歳のときでした。ハンドボール普及のために日本代表選手が講習会を開いてくれて、兄と妹はそれに参加したのをきっかけに、僕より1週間早く始めました。当時、千葉県に一つだけクラブチームがあって、その練習場所が僕らが通っていた小学校だったんです。

金丸:運命を感じますね。

土井:でも、そのとき僕はサッカーをやりたくて。ただ、兄と妹は午前中に練習があり、サッカーは午後。「学校まで2往復するのは面倒だから、あなたも午前中から一緒に行きなさい」と親に言われて、やることもないのでハンドボールの練習を横で見ていたら、監督から「君もやってみない?」と。

金丸:やってみたら、ハマった?

土井:そうです。サッカーのことは頭から吹き飛んでしまいました。

金丸:ハンドボールの面白さって、実際にやってみないとなかなか伝わらない。それがもどかしいところです。

土井:自分で言うのもなんですが、運動神経がよかったので、1試合で15点とか20点とか取っていました。でも、小学校も中学校も選手は少ないし、チームは弱いし。

金丸:チームスポーツなので、ひとりだけ強くても勝てませんからね。

土井:道が拓けたのは、中学生のとき県選抜に選ばれてからです。高校は推薦で、関東二強と言われる埼玉の浦和学院に進学しました。「選手の層が厚いから、試合に出られないかも」と周りから反対されたけど、どうせやるなら、より高いレベルのところでやりたくて。

金丸:それまでとは環境が大きく変わったと思いますが、いかがでしたか?

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