2021.06.16
へんなかねもち図鑑 Vol.1茉莉花さんが持って現れたもの。
それは、2つの大きなグリーンの紙袋だった。
「それ『ベイユヴェール』ですよね!」
大興奮して話しかける私に、茉莉花さんは照れくさそうに笑う。
「大荷物で恥ずかしい〜。私、ここのケーキが大好きで。今日はあんまり可愛いからマカロンも10個くらい買ってきちゃったの」
『ベイユヴェール』といえば、バタークリームで繊細な花びらが施されたケーキは1万円超え。マカロンに至っては、ひとつの値段が1,500円くらいはしたはずだ。
― 1,500円のマカロンを大人買いだなんて!…ネイルが終わった後に、お友達やご家族と楽しむのかな。
甘いものフリークにとって夢の高級品。それが総額3万円くらいは余裕で詰まった紙袋を目の前にして、私は羨望のため息をつく。
そして促されるままにサロンのあるマンションへと入りながら、ふと心配になって彼女に声をかけた。
「でも茉莉花さん、ケーキもマカロンも、ずっと冷やしてないとダメですよね?時間大丈夫でしょうか?」
ネイルサロンは、デザインによって平気で2~3時間かかることもある。
宝物みたいなスイーツがネイルの間に台無しにならないか、ハラハラして思わず出た言葉だったけれど、彼女はただ「よく意味がわからない」というようなキョトンとした表情を浮かべるのだった。
◆
「ようこそ〜!茉莉花、いつも来てくれてありがとう。日菜さんも、いらしてくださって嬉しいです」
マンションの一室で出迎えてくれたのは、このネイルサロンのオーナーで、茉莉花さんとは小学校からの同級生だという由香さんだ。
目の前に並べられたデザインはどれも品がよく、サロンの雰囲気も優雅な感じ。私の担当は由香さんのアシスタントの女性で、茉莉花さんや由香さんと同じような“お嬢様な雰囲気”を身に纏っていた。
まるで高級ホテルのスパみたいな空気に、私は今一度気を引き締める。
― やっぱり、調子に乗って注文しすぎると高くつきそう…。
おずおずと一番安い価格帯のデザイン見本を手に取ると、隣のデスクから由香さんが声をかけてくれた。
「日菜さん、今日はお値段気にしないでね。茉莉花の紹介なんだし、どんなデザインでも8,000円にしちゃう。遠慮なくご希望なさってね」
「ええっ、いいんですか!?」
大袈裟に驚く私に、由香さんが続ける。
「もちろん。茉莉花もいつもこの値段なの。ね、茉莉花」
茉莉花さんも同じ値段なら、あんまり固辞するのも失礼になるはず。表面上は引き続き恐縮しながらも、私は内心思い切りガッツポーズを取っていた。
― やった!“お友達価格”きたー!
こんなハイセンスなサロンで8,000円なんて、相場の半額以下だ。せっかくならお言葉に甘えて、思いきりゴージャスなデザインにしちゃおうかな?
…そう思っていると、浮かれきった私の耳に、茉莉花さんの声が飛び込んでくる。
「由香、いつも本当にありがとうね。じゃあ、これ…」
そう言いながら茉莉花さんは、しばらくゴソゴソとかがんでいたかと思うと…。
あの『ベイユヴェール』のケーキとマカロンが入った紙袋を、2つとも由香さんに差し出したのだ。
―!?
目を丸くする私の横で、茉莉花さんと由香さんは穏やかに話し続ける。
「やだ〜茉莉花。いらないっていつも言ってるのに」
「ううん。由香の最高なセンスでやってもらってるのに、こんなに安くちゃ気が済まないもん。良かったらサロンの皆様やご家族で楽しんでね」
あたりまえのやりとりのように微笑み合う2人を横目で見ながら、私は1人混乱する。
― ちょっとちょっと!?そのお菓子、総額3万円はするよ?せっかくネイル代が“お友達価格”で浮いたのに、その何倍払うの〜!?
でも、そこまで考えてハッとした。
あのとき、茉莉花さんがためらいがちに言っていた「お友達価格なんだけどね」という言葉…。
それってもしかして茉莉花さん的には、“お友達だからこそ、相場よりも多めにお礼をしてる”って意味なんじゃないか…って。
― でも、でも、それにしたって3万円相当のお礼なんて…。本当に1万円くらいしか払わないつもりで、手ぶらで来た私はどうしたらいいのでしょうか!?
おかねもちの生態、未知すぎる。
急に居心地の悪さを感じた私は、背中を小さく丸めつつそっと一番安いデザイン見本を手に取る。
そして、秘書室では“庶民的感覚担当”として生きていくことを、強く、強く、決意するのだった…。
■かねもちのへんな生態:その1■
お嬢様たちの間では、“お友達価格”の方が何倍も高くつくことがある
▶他にも:「手取り36万。家賃13.5万円は、いい男に出会うための出費だったけど…」アラサー独身女の孤独
▶Next:6月23日 水曜更新予定
“億り人”な投資家の、意外すぎるお金の使い方とは
また秘書か、とかまた上智かとは思いましたが。
1話完結?来週も楽しみ。
例えば知り合いのレストランへ、あまりに高級なお菓子などを持っていくと、その分サービスしてねみたいに勘違いされたり、逆に気を遣って高いワインを出してくださったりの可能性もあるので、過度に高価にならすぎないよう気をつけてしまいますが…
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