SPECIAL TALK Vol.80

~ひとりでとことん建築に没頭した6年が、建築家としての存在意義を見出した~

金丸:私に聞かれても(笑)。建築の道に進まれたということは、理系に興味があったということですよね。

藤本:ちょっとあやふやなんですけど、もともと数学や理科が好きだった気がします。だから文系よりは理系のほうが楽しそうだなと。

金丸:高校の頃から建築にも興味を持たれていたのですか?

藤本:いえ、まったく。高校のときは物理学が大好きで、私にとって、アインシュタインがヒーローでした。彼のクリエイティブな新しい発想というのが、すごくかっこいいなと思っていて。

金丸:じゃあ、そもそもは物理学の道を志していたんですね。

藤本:はい。ただ東京大学に進学して、意気揚々と物理学の授業に出てみたものの、初日から何を言っているのかさっぱり分からなくて。

金丸:高校の物理と大学の物理とでは、大きな差があったと。

藤本:正直、「ちょっと勘違いしてたな」と思いました。挫折感とも言えないくらいすんなりと「あ、すいませんでした」という感じで(笑)。

金丸:なんだか高校進学のときと似ていますね。藤本さんは何かあったとき、すんなりと受け入れられるタイプなんですね。

藤本:東大は3年生に進学するときに自分の専門分野を選ぶのですが、2年間の猶予があったもののあっという間に期限が近づいてきて。さてどうしようと考えているとき、思い浮かんだのが建築でした。

金丸:なぜ建築が思い浮かんだのでしょう?

藤本:根底には、ものづくりをしたいという考えがありました。機械や飛行機を作るという選択肢もあったのですが、やはり建築が最も社会全体を含んだ総合芸術だろうと。

金丸:やっぱりアートへの興味をずっと持っていたのですね。

藤本:そうですね。思い返すと、父のアートの本のなかに1冊だけ、アントニオ・ガウディの本がありました。彼のコテコテした建築の写真を見ながら、面白そうだなといつも思っていたんです。

金丸:やはりお父さまの影響があったのですね。

藤本:建築学科は60人くらいのこぢんまりした学科で、最初に与えられた課題がパビリオンでした。作ってみたら周りの同級生から「なんかすごいね」と褒められて。「あれ、俺、すごいのかな?」と(笑)。

金丸:今度は小学校のデジャヴュですか(笑)。では、同じような成功体験を経て、やる気も出てきて。

藤本:意外と向いていたようです。たまたまやり始めたらすごく面白くて、すぐにのめり込みました。

作品を否定されることを怖れ、6年間の“潜伏”が始まる

金丸:大学卒業後はどうされたのですか?

藤本:在学時から建築家になりたい、建築を一生やっていきたいという思いはありました。でも、どこか有名な建築事務所に勤めて修業をする気になれなくて。修業自体がいやだというより、自分のそれまでの作品を「いかがでしょうか?」と見せたときに、「そんなに面白くないね」と言われるのが怖かったんです。

金丸:今まで見たことのない、ナイーブな一面が出てきましたが。そこまで守らなきゃいけないほど、こだわりのある作品を、それまで作られていたのですか?

藤本:いや、そうでもないです。だから何を怖がっていたのか、今となっては私自身もよく分からないですけど。打たれ弱かったんですかね。

金丸:それで、どうされたんですか?

藤本:結論から言うと、6年くらい、ひとりでふらふらしていました。

金丸:6年も!ふらふらって具体的には何を?

藤本:「これからの建築はこういう感じかな」とひとりでずっと考えていました。たまにコンペにも出していましたが、落選することが多くて。そんな生活を、親のすねをかじりながら続けていました。

金丸:アルバイトをするわけでもなく、仕送りをもらいつつですか?

藤本:はい、がっつり仕送りです。

金丸:あの、ご両親からは何も言われなかったんですか?

藤本:直接的には言われなかったですね。「この子はどうするつもりなんだろう」みたいな不安はあったようですが。

金丸:なるほど。

藤本:最初の1年半くらいは東京に住んでいましたが、親がさすがに「どうにかしないと」と思ったみたいで、「うちの病院のプロジェクトをやってみないか?」と仕事をくれました。それで実家に戻りました。

金丸:では、精神科の病院の設計を任されたのですか?

藤本:はい。精神医療というのは、人間そのものを扱う分野です。入院している方は、基本はわれわれと同じですが、よりセンシティブなんですね。だから彼らが過ごす空間を機能的に割り切って作ってしまうと、こぼれ落ちてしまうものが多い。自分たちの社会の延長として、一番センシティブな人たちのために過ごしやすい場所を作るという意識がないと、うまくいきません。

金丸:それは6年間、建築について考えつづけたことで行き着いた意識でしょうか?

藤本:そうですね。たしかに、あの6年はすごく貴重な時間だったと思います。自分の核を見つめ、その核を通じて建築を考えたり、人と建築の関係を考え抜いたりできましたから。

金丸:日本はいまだに「現役で有名大学に合格して、4年で卒業したあとストレートで大企業に入る」というのが、成功とされていますよね。でも欧米では、「社会についてよく知らない学生のうちに、自分の一生を決定づけるような企業や職種を決めるのはリスクが高い」という考え方が主流です。リスク管理のためにも、大学卒業後は1年くらいふらふらするのは当たり前で、インターンシップも本来はそういう人たちが経験を積むためにあるんですよね。

藤本:私の場合は6年でしたけれど(笑)。

金丸:でも、寄り道をよしとしない日本社会のなかで、流されなかったというのは、藤本さんの強さかもしれません。それにご両親も立派だと思います。

藤本:両親には感謝しています(笑)。

金丸:ところで、6年の潜伏期間が終わったのは、いったい何がきっかけだったのですか?

藤本:2000年の青森県立美術館のコンペで、2位に選ばれたんです。そのとき審査委員長を務めていたのが、建築家の伊東豊雄さんでした。

金丸:伊東さんはいまや世界的な巨匠ですね。

藤本:その伊東さんが「面白いな、誰だこいつ」と。それまで海の底にいたのが、海面くらいまで浮上して。その後も伊東さんにはずっとお世話になっています。

金丸:そうして一気に道が拓けた。ずっとアクションを取り続けたことが、評価につながったんですね。

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