2021.03.14
明日、世界がおわるなら Vol.1「真衣!久しぶり~!元気してた?」
部屋に入るなりそう私の名前を呼ぶのは、幼馴染の春香だ。腐れ縁ともいえる春香とは、小学校から高校までを都内の女子校で共に過ごし、大学もお互い東大へと進学。青春時代のほとんどを一緒に過ごした。
「元気よ!でも、春香の方が相変らず元気そうね」
そう答える私の声など届いていないように、春香は興奮した様子で話し続けている。
「このマンションめっちゃ高級レジデンスって感じだね!!玉の輿のったね~。あ、真衣も稼いでるか!」
総合商社で働いている春香は、最近ベトナム赴任から戻ってきたばかり。会うのは1年振りだ。昔から変わらない底抜けの明るさは、彼女の天性の才能だと思う。
「うわ~、真衣の家にお酒があるなんて、新鮮!!え、これ何?シェイカーってやつ?」
春香は興味深そうにキッチン周りをうろつきながら、並んだカクテルグラスやマリブやジンの瓶を眺める。そして、その流れで視線を私に向けた。
「…真衣。そうだよね…」
しみじみと私を見つめる彼女は、感慨深そうに目を細めた。
「色々あったけど、結局、彼を選んだのよね…」
私は春香の視線を真正面から受け止めると、小さく微笑み返事をする。
「やだ、いまさらそんな話…いいじゃないもう。昔のことなんて」
目を伏せる私に同調するように、春香もため息をついた。
「そう…だね。ねえ、でもさ。2年前の、これぐらいの時期じゃなかった?」
「…そうだった、かな」
バツが悪いような気がして、とぼけた返事をしたけれど…はっきりと覚えている。
そう、あれはちょうど、2年前の今日のことだった。
◆
当時30歳だった私は、仕事に奮起していた。
新卒で入社した、大手広告代理店。忙しい毎日だったけれど、華やかで大規模な仕事を動かしていく高揚感に、私は魅せられていた。
けれど、仕事一辺倒というわけでもない。外資系投資銀行に勤める直人とは、交際5年目に突入。同棲や結婚の話も具体的にするようになっている。
順風満帆、そのもの。オーソドックスかもしれないけれど、幸せな日々。
でも、凪のように穏やかなそんな日々に突風が吹き荒れはじめたのは、2019年3月14日のこと。
些細な事がきっかけで、直人と口論になったのだ。
「ごめん、仕事がめちゃくちゃ忙しくて、それどころじゃなくて…」
ソファにどっかりと座り込んだ直人は、ネクタイを緩めながら口先だけで謝る。ホワイトデーだというのに、直人はお返しのプレゼントをすっかり忘れていたのだ。
「どうして?今日はホワイトデーだよ!バレンタインデーにチョコレートを受け取ったのなら、感謝の気持ちを忘れずにしっかりお返しはすべきでしょ?」
「今度埋め合わせするって…。てか、それよりさ…。少しは、お前も柔軟になってくれよ。堅物すぎるんだよ…」
彼の吐き捨てたその言葉は、私をとてつもなくイラつかせた。
共働きの両親に、「女性も立派なキャリアを持つように」と厳しく育てられた私は、これまでの人生の中で、何の疑いも持たず、厳格な両親の教えを忠実に守り、立派な人間になろうと生きてきた。
そんな生真面目な性格が災いし、どこか面白味のない人間になってしまったという自覚はあったのだ。
唯一にして、最大のコンプレックス…。
気がつくと、私は白金の彼の家を飛び出していた。
なぜだか抑えきれない怒りに任せ、自宅がある恵比寿を目指し、ヒールをカツカツと鳴らしながらものすごい勢いで歩いた。
恵比寿の喧騒を近くに感じるところまできたとき、なんとなく目をやった路地裏に、あかりが灯る1軒のバーがあることに気がついた。
アンティーク調の木材でできた一枚の扉に、小さなガラス窓がついていて、薄暗い店内の様子が伺える。
5人ほど座れそうなバーカウンターに、マスターが1人。カウンターにはキャンドルが等間隔で置かれており、客はいない。
ふと、さっきの直人の言葉がフラッシュバックする。
―堅物すぎるんだよ…。
そんなこと、ずっと前から嫌というほど分かっている。真面目過ぎて、相手をちょっと息苦しくさせてしまう、この性格。
遊び心。適当。寄り道。そんな類の言葉たちは、今までの私の人生とは全く縁がなかった。ずっと無駄なものだと思っていた。けれど…。
「私だって、少しくらい…」
私は何かを吹っ切るような気持ちで、半ば無意識のうちに、その扉に手を掛けた。
この扉が、自分の人生を変えてしまう可能性すら秘めていたなんて、思いもせず…。
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