
~30年間、見続けてきたから日本はもう一度輝く、と信じている~
中国“改革開放”の流れで上海から単身、海を渡る
金丸:羅さんは中国のどちらの生まれですか?
羅:上海生まれの上海育ちです。
金丸:お父様はどんなお仕事を?
羅:普通のサラリーマンでした。
金丸:中国の事情がよくわからないのですが、上海の普通というのはどういう感じなのでしょう?
羅:企業に勤めるごく普通のサラリーマンですよ。当時の上海は中国でも最も豊かな地域の一つで、普通のサラリーマンでも生活には困ることはありませんでした。
金丸:ということは、上海の中流家庭で育ったということですね。
羅:そうですね。すごいお金持ちがいるわけではなく、みんな中流でした。
金丸:ご兄弟は?
羅:姉がいます。
金丸:「一人っ子政策」は関係ないのですね?
羅:それは最近の話で、あの頃は、まだ子どもはたくさんいたほうがいいという政策でした。
金丸:上海は豊かな地域ということでしたが、首都である北京と同じくらいの水準でしたか?
羅:今もそうですが、北京は政治の中心、上海は経済の中心でしたね。僕が子どもの頃というのは鄧 小平による改革の前。社会主義のもとみんな平等で、上流も中流も下流もない、というのが建前でした。肉も米もすべて配給でしたが、配給が保障されない地域も多いなかで、上海はきちんと配給されていたので、恵まれていた方だと思います。あとは親、特に母親がどうやって上手に家計のやりくりをできるか、という時代でした。
金丸:子どもの頃は、どんなお子さんだったのですか? 経済の中心ということですから、上海は勉強熱心な地域だったのでは?
羅:周りは熱心だったけど、僕はあんまり熱心じゃなかった(笑)。
金丸:じゃあ遊んでばかり?
羅:けんかばっかり(笑)。子どもの頃はゲームなんてないし、スポーツもない。ただ外で遊んで汚れたら帰る、という感じでした。
金丸:お手伝いはよくしていたのですか? 中国の人はみんな料理ができるイメージがありますが。
羅:得意というほどじゃないですが、両親が共働きだったので、小学生のときからご飯だけはずっと炊いていました。しかも炊飯器じゃなくて、石炭と鍋を使って。
金丸:それはすごい。石炭だと火の調整が難しそうですね。
羅:すごく難しいですよ(笑)。だから今でも気が向いたら、料理はします。
金丸:日本に留学するまでは、何をされていたのですか?
羅:地元の大学に進んで、卒業後に上海の第一デパートに入社しました。
金丸:そうなんですか。第一デパートには、私もかつて行ったことがあります。
羅:当時、中国でナンバーワンの百貨店でしたからね。そこで2年勤めたあと、日本に留学しました。
金丸:それまで日本にいらしたことは?
羅:ありません。そもそも海外旅行自体が許されていなくて。
金丸:留学だから海外に出られたんですね。いつ来日を?
羅:1989年です。鄧 小平によって改革開放が始まったばかりの頃ですね。それ以来ずっと日本なので、僕の人生、半分は上海、半分は東京です。
金丸:89年というと、天安門事件があった年ですね。
羅:僕が来日したのは、天安門事件の少し前でした。
金丸:報道が規制されていたから、上海にいたら事件が起こっているのを知らなかったかもしれませんね。
羅:知らないどころか、巻き込まれていたかもしれませんよ。学生運動が一番盛り上がっていたのは天安門のある北京だったけど、運動は全国に広がっていたし、上海でも活発でしたから。