200億の女 Vol.21

「恥ずかしくて、身動きがとれない」。女の羞恥心を巧みに操る男の口説き文句


気がついた時には、小川さんの腕の中にいた。もがく私をきつく包みこんで離さない長い腕は、とても強く、私は逃げ出すことを諦めた。

「あー、もう、ほんとやばいな。俺、自分で思ってたよりもずっと、智さんのことが好きみたいです」

近づいてくる誰かの気配に一瞬、腕の力が緩んだ気がしたけれど、それでも抜け出せなかった。キャンドルの炎を確かめにきたスタッフに、Everything ok?と声をかけられると、小川さんが、最高の夜だ、と弾んだ声で答えた。

「智さん、俺たち、とりあえず付き合ってみませんか。付き合う、って言葉がハードルが高いなら、付き合う練習とかでもなんでもいいです。

一緒に過ごす時間をください。ちょっとでも俺に心が揺れてくれてるなら、俺が智さんの本気を…本気の愛ってものを引き出してみたい。

めちゃくちゃ努力します。それでも、もし俺たちがうまくいかなかったとしても、俺といた時間を後悔させません。智さんが、幸せだったと思ってもらえるような時間にしてみせます」

「…でも私は…」

「母親だから?智さんが母親であることを邪魔するつもりはありません。むしろお嬢さんとの時間を最優先にして欲しい。お嬢さんはあなたに愛される。そして、そんなあなたを俺が愛して…甘やかしてあげたい」

―この人は、また。

以前も、甘やかしたいと言われたことを思い出して、私は思わず笑ってしまった。何で笑ったんですか、と、少し体を離して私の顔を覗き込んだ小川さんの視線は優しかった。

「…その…付き合う練習、でもいいですか」

自分の口から出た言葉に驚いた。驚いたのは私だけではなかったようで、小川さんの腕の力が抜け落ち、不意打ちにあったような顔でジッと見つめてきた。

私は、恥ずかしさとか、むず痒さとか、そんな感情がごちゃまぜになり、小川さんから離れるために立ち上がろうと思った。でも。

「…っ!?」

少し離れたと思った瞬間、腕を引かれ、引き戻された。今度は後ろから抱きかかえられるように、私の体は小川さんの足の間に収まってしまった。

「智さんは頭で考え過ぎです。感情が動いたなら、たまにはそれに流されてもいいじゃないですか。これから俺といる時間は、頭じゃなくて、心に従ってみてください。世の中でいう正しいこととか、常識には囚われないで。自分が望むままに」

密着しているせいで、小川さんの言葉は体に直接響いてくる。考えすぎる、と言われたけれど、動揺を遥かに超えたこの状況に、いつもの思考のリズムなどとっくに奪われている。

「俺のお願いは、今全て伝えました。智さんが俺にして欲しいことはないんですか?言いたいこととか、なんでも」

私の体を囲み込んだ長い腕に、またギュッと力が入った。35歳を超えて、まるで10代の少女のように硬直して、身動き一つ取れない自分が恥ずかしくて、耳まで赤くなっているだろうことが自分でもわかった。

こんなことくらい平気なんだと振る舞いたいのに。何か…言わなければ。

「…あの…日本に帰ったら、その、すぐに送金するための手配をします。小川さんがおっしゃったように、まずは財団の1年の予算で…」

私がそこまで言うと、小川さんは吹き出し、声を上げて笑った。

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