始まりの日
◆
合格発表からさかのぼること1年8か月前。
深田 彩(36歳)と一人息子の翔(小学5年生)はその日曜日、家族3人の誕生日が6月に重なっているため、大忙しだった。
「おーい、彩、翔、出るぞ、車寄せで待ってろよー」
夫の深田真一(46歳)は、曲がりなりにも職場に行くとは思えぬ真っ白なTシャツにジーンズといういでたちで、愛車のメルセデスのキーをポケットに入れた。
「はーい、真ちゃんありがとう!翔、髪の毛とかしてね」
「オッケー、ちょっと待って」
調子のいい返事ばかりで一向に部屋から出てこない息子にしびれを切らし、彩が見に行くと、着替えるようにと置いておいたコーディネートはそのままで、短パンTシャツのまま部屋でリフティングをしている。
「翔、今日はパパの会社の皆さんがわざわざ集まってくれてるから、お礼を言ってね」
彩の乱入に、翔は色素の薄い目をくるくる回してみせながらリフティングを中断し、ため息をついた。
「俺、そんなの頼んでないんだけどなあ。そんな暇があるなら有栖川でヒロトとサッカーしたいよ」
そう言いながらもしぶしぶ着替えを手に取る翔の肩を、彩はポンポンとたたく。
「まあまあ、そう言わないで。帰ってきたらさ、ヒロト君にうちに来てもらったらどう?ママ、クッキーでも焼くよ」ととりなして、玄関に向かった。
マンションのエントランスで真一の車を待ちながら、彩はその向こうに広がる閑静な南麻布の住宅街を眺める。
そして自分がほんのちょっとだけ、これから始まる誕生日会を憂鬱に感じていることに思い当たる。
夫の真一と出会ったのは13年前。彩がまだ女子大を卒業したばかりの夏だった。
赤文字系雑誌の女子大生読者モデルとして、少しは同世代の中で顔が知れていた彩は、社会人1年目、仕事もそこそこに、声がかかればフットワーク軽く飲みに行っていた。
今思えば、若すぎて、モテすぎて、結婚や婚活という言葉がピンときていなかった。
そのため友人たちに言わせると「100%本能で」、知人に連れられて数回訪れた、西麻布で極上の肉と地酒を出す小さな店を切り盛りしていた真一に恋をした。
特別にイケメンというわけでもなく、それどころかちょっとのっそりした熊のような風貌の真一に、彩はなぜか一目で好意を持ったのだ。懐かしいような、ほっとしたような気持ちを、今でも覚えている。
すぐに交際が始まり、食べるのが大好きな二人だったから、とにかく美味しいときくと屋台でも食堂でも忙しい合間を縫って食べに出かけた。
二人の関係は順調そのものだったが、当時の真一は経営者としてはまだまだ駆け出し。吹けば飛ぶようなその店は、競争の激しい西麻布でどうなるかもわからない状態だ。
しかし交際1年目で子どもができたと分かったとき、二人には不思議と一切の迷いはなかった。
それは運命だったと、彩は今でも思う。
特段の苦労もなく、むしろ器量に恵まれのんびりと生きてきた彩にとって、出産とほぼ同時に始まった結婚生活は、決して豊かで気楽、とはいかなかった。
それでも、根が楽天的な真一ががむしゃらに頑張るのを支え、結構楽しくやってきたのだ。
ところが、驚くべき転機が、3年後に訪れる。
この記事へのコメント
素敵な話になっていくといいなぁー!
中学受験までは親子の受験であることは間違いないけどね。
東カレ層収入以下でも御三家通ってる子は多いと思うし小学校受験とちがって、「金持ちじゃないと受験出来ない」なんてこと無いですよ。反抗期にも入ってるし母親が献身的過ぎて奴隷になるのも問題と言われる。
開成も本人の出来が悪くてついて...続きを見るけなくてやめる子もいるとききますから金次第じゃ無いですね、結局。
入ってからが勝負なのに受かることが目的の親が多いのでこの人たちもそうではないといいなと思います。
こんなすごい学校に合格した子どもを持つ自分がすごい!っていう、東カレ女特有の「自分の実力以外のところでマウント取りの見下し女」になりませんように。