その後すっかり秋めいてきた9月の中頃。結婚の挨拶のため、沙織がはじめて宗次郎の実家を訪れる日が来た。
宗次郎は大学の芸術学部で美術史の研究員をしており、代々芸術系の一家なのだと聞いていた。
かたや、沙織は看護科出身のいわゆる“リケジョ”。芸術一家の話についていけるのか、気に入ってもらえるのか、心配事は尽きない。
「ねえ、手土産本当に和菓子で大丈夫だった?お父さんお酒飲む人だっけ?お酒も買った方がいいかな」
「これから家族になるんだから、そんなに気を使わないで大丈夫だよ」
「それが一番プレッシャーなんだよ。家族になるからこそ、最初が肝心でしょ」
日曜日、宗次郎の運転で目白の実家へ向かう。付き合って1年。家族の話はそれとなく聞いていたが、実際に会うのは今日が初めてなのだ。
宗次郎は大学の研究員で今はまだ年収が高いわけではない。それでも最新型のベンツに乗っていることや、身なりや立ち振る舞い、些細な会話から「格の違い」を感じていた。いよいよそれを目の当たりにすることになるのだろう。
大通りから路地に入り住宅地の奥へしばらく進むと、宗次郎はゆっくりと車を減速した。
「着いたよ」
目の前の光景を見て沙織は一瞬で言葉を失う。
―え?ここ美術館か記念館じゃないの?
鬱蒼とした木々の奥に、見事な洋館が佇んでいた。大きな門がゆっくりと開く。
「え?ちょっと待って。ここが家なの?」
混乱したまま沙織は宗次郎に促されて玄関までたどり着く。重そうな扉を開けるとき、ギギギギ…という軋む音が響いた。
「ただいま」
「おかえりなさい。宗次郎さん」
玄関を開けると、そこには宗次郎の母親―千鶴子が膝をついている。衝撃の光景で、不意打ちだった。
「は、はじめまして。岡林沙織と申します。いつも宗次郎さんにはお世話になっております!」
沙織はしどろもどろで頭を下げ、慌てふためきながら手土産を差し出した。
「はじめまして。沙織さん。お話は伺っていますよ。お待ちしていました。どうぞお上りください」
千鶴子はふふふと笑いながら言い、立ち上がった。
50代の中ごろだろうか。とても上品できれいな人だというのが第一印象だ。髪も肌もきちんと手入れされていて、品の良いクラシカルなブラウスにロングスカートを履いている。
気負いながらも沙織は促されるままに廊下を歩く。そこはまるで夕暮れ時のような薄暗さで、いたるところに飾られた立派な油絵や花瓶が存在感を放っていた。
きっといちいち感想を伝え褒めるべきなのだとわかっているが、沙織には美術品を讃える知識がなく不甲斐ない。
「どうぞこちらへ。みんな揃っていますよ」
「え?みんなですか?」
通された応接間には、なんとずらりと家族が揃っていた。
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