既婚男女の利害関係
「旦那さんとはさ、セックスレスってわけじゃないんでしょ?」
石田という男の問いに、麻美は曖昧に照れて見せる。
この類の質問に答えるのは本当に苦手だ。
“レスだ”と言えば欲求不満のようで惨めだし、“そうでもない”と言えば“じゃあなぜこんな場所にいる”と相手を不快にさせはしないか心配だ。
「そちらは、どうなんですか」
大して興味はないがそう切り返しながら、麻美はつい数日前、ベッドの中で伸ばされた雄一の手を思い出した。
雄一に嫌気がさしているのは本当だが、実のところ“レス”という状態には陥っていない。月に数回、彼はまるで義務をこなすように麻美の身体を求める。
下手に断れば、病的なほど合理的な夫は「じゃあ別れよう」なんて言い出しかねないため、乗り気ではなくとも一応は受け入れているのだ。
気持ちが冷めていても、結婚生活2年ほどでは生理的嫌悪というレベルには達していない。
「前にも言ったじゃん。ウチの奥さんはさ、大学からの同級生だよ?ほんと、もうそういうんじゃないんだって」
「そっか」
麻美は答えながら、目の前に出された分厚いトリュフの前菜に目を奪われる。同時に、薄暗いカウンター席はふわりと芳醇な香りに包まれた。
石田に連れられてやって来たこの店は、白金にある紹介制の小さなステーキ屋で、高級食材を惜しみなく提供するのが売りらしい。SNSも写真撮影も一切NGで、1日に1、2組しか予約を取らないそうだ。
「麻美ってさ、本当美人だよね。最初に会ったときはちょっと驚いたよ」
少しだけ声のボリュームを落として、石田は真剣な表情を作る。
彼は麻美も名前は知っているわりと有名なベンチャー企業の創業メンバーで、羽振りが良く、37歳の2児のパパだ。
彼とはいわゆる“既婚者飲み会”で出会った。
少し前から、麻美はそんな不純な集いにちょくちょく顔を出している。
「こんなに美人で、清楚そうで、それでちょっと不良なんてさ。最高だよ」
この男にとって、麻美は単に利害関係が一致した女に過ぎない。
けれど三十路の人妻をわざわざこんな高級店で毎度もてなすのだから、意外と根は真面目なのかもしれない、とも思う。
きっと、もっと美人でもっと不良の20代の独身女と遊ぶ度胸はないのだ。いや、賢い選択と言うべきか。
「性格も素直で可愛いしさ、よく飲むし食べるし、こんなイイ女なかなかいないよ。あ、もう一杯シャンパン飲む?次はワインにする?」
シャンパンがいいと答え、麻美はグラスに残った液体を一気に喉に流しこむ。
目の前の男に真剣に愛される必要はないという意識が、これほど気楽だとは知らなかった。
思い返せば、自分はやたらと真面目に生きてきたのだ。
独身時代は石田のような結婚に結びつかない男には決して近づかず、堅実な男にだけ的を絞り、そして彼らに好かれる努力は怠らなかった。
結婚後も雄一に不満を抱きながらも、いつも“幸福で貞淑な妻のフリ”をしていた。馬鹿馬鹿しい。
「でも...俺には、さすがにハードル高いかなぁ?」
そして媚びた声を出す石田の顔をチラッと見やる。
背は少々低いが、見た目は悪くない。雄一なんかよりもずっと稼いでいる。
立場はどうあれ、このレベルの男に乞われるのは悪い気はしない。
酔いも回り始めた麻美はだんだんと上機嫌になり、気づけば思わずニッコリと微笑んでいた。
この記事へのコメント
全て失うコカインみたいなものなのに。
二面性とかふざけた事を言ってないで、さっさと離婚が先でしょう。