彼女の白いうなじから立ち上る甘い香りは、アルコールで体温が上昇したせいなのか、撮影の時よりさらに蠱惑的に僕の嗅覚を刺激した。
「光希、って呼んで。レオさんの…その声で呼んで欲しいの」
唇を離したわずかな隙に吐息でそうねだられ、僕が彼女の耳元でそのリクエストに答えた瞬間、フロアに到着したアナウンスが流れてエレベーターのドアが開いた。エレベータを降りてしまえばフロアには2部屋だけ。
キスをしたまま部屋になだれ込み、朝を迎えた。あっけらかんとした彼女の手慣れた行動に、お互いに好奇心の、一夜限りの関係だと思っていたのだが。
「私、レオさんの恋人になりたい。私のこと、子供過ぎてつまんないと思ってる?」
車が地上に出る直前、サングラスをかけながらそう言った光希の口調は、思いのほか真剣だった。少し驚いたけれど、僕は困った顔を作って笑い、それに気づかぬふりをした。
―誰かと本気で付き合うことはない…もう二度と。
僕が、この嘘を守り続けていくには、孤独であるべきだから。
誰かに心を許せば、秘密は弱く、脆くなる。特に恋や愛という感情は怖い。異常な執着は人の心を衝動的にかき乱し、思いもよらぬ行動に走らせる。
―茜さんのように。
こんなおじさんのことなんて、そのうち飽きるよ、と笑うと、彼女は、あーもう、またはぐらかされた!と拗ねた後に続けた。
「でも私諦めない!絶対レオさんの彼女になるって決めたしね!」
明るい声でそう宣言した光希は、信号が赤になった瞬間、助手席から身を乗り出すと、僕の頰にキスをした。
◆
―来た。
ホテルの地下駐車場から上がってきた、黒のポルシェ・カイエン。ナンバーも間違いない。レオナルド・ジェファーソン・毛利。通称『レオ』と呼ばれる、今をときめく男の車。
その登場を、ホテル前に停めていた車の中で待ち構えていた須田歩(すだ・あゆみ)は、自らも車を発進させ、漆黒の車の後ろをついていく。
信号で停まった時、助手席の人影が運転席の方へ体ごと顔を寄せるのが見えた。
歩は首から下げていたカメラを構え、連写する。
液晶で拡大すると、サングラスの女性が運転席のレオの頰にキスをしている、とわかる写真が撮れていた。
女性はおそらく、昨日レオと対談していた女優だろう。今年35歳になるレオの相手としては若すぎると呆れはしたが、歩は、レオの恋愛スクープを狙っているわけではなかった。
―レオ…あなたの本性も、嘘も罪も、私が全て暴いてみせる。…あの人のためにも、絶対に。
信号が青になり、レオの後を追って歩も車を発進させた。
―どこまでも追い詰めてやる。…あなたは、誰?
▶NEXT:レオと茜の間に何があったのか?二人の出会いと、レオの初めての嘘とは?
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