「…運転手さん…なんて言うか、なんか…色っぽくない?」
女は戸惑いながら、言葉を並べた。だが、その言葉を特に気にする様子もなく、鈴木はにっこりと微笑んで言った。
「もし宜しければ、車内のお写真をお撮りになりますか?」
思わぬ提案に、3人が沸きたつ。
鈴木がスモークの貼られた後部座席の扉を開けると、それが歓声に変わった。
「どうぞ。車に興味のある方には見せて差し上げるように、と主人に言われていますから」
動画、動画もいいですか?これインスタにアップしてもいいの? ああ、やばいやばいやばい、やっぱ環さんってすげーいい人なんだなあー。
やがて、ひとしきり興奮し尽くした若者たちの熱が収まり、シャッター音が止まった。そのタイミングを待っていた鈴木が彼らに質問する。
「表参道の駅に行かれるんですか?」
「そう、終電に乗ろうと思って…うわ、時間やばいよ?歩いたら間に合わないじゃん」
携帯の時間を見て焦った女に、鈴木が提案する。
「それなら、タクシーを使ってください」
えっ?と3人が顔を見合わせた時、空車のタクシーがタイミングよく通りがかり、鈴木がそれを止めた。後部座席のドアが開くと、そのドアの脇に立ち、真っ白な右手を女に向かって差し出し、言った。
「レディファーストで、どうぞこちらへ」
その白い手袋に引き寄せられるように、フラフラとタクシーに近づいてきた女を、後部座席に優しく誘導する。
その後、男2人も車内に促すと運転手にお金を渡し、「表参道駅まで」と告げてタクシーを発進させた。
動き出した車の中で、今、1万円渡してくれたよな、すげえ、やべえ、と、また大興奮を始めた男2人をよそに、女はサイドミラーから目が離せなかった。
小さくなっていくのに、まだ頭を下げたままの運転手。
さっき、彼に手を引かれタクシーに乗り込んだ時、間近で見上げたその白い顔の中で、唇だけが妙に赤く見えてドキドキした。その胸の鼓動が治らぬまま、女はふと思った。
「あれ…?あの人、何で私たちが表参道に行くって分かったんだろう」
だが、すぐに男たちの興奮に巻き込まれると、その疑問は忘れてしまった。
こうして自分たちが、鈴木に体よく追い払われたのだと、気がつくこともないまま。
その夜のことは、ただ、環利一の好感度が上がった出来事として、3人のSNSにアップされることになった。
◆
そのわずか、1週間前。
黒塗りの公用車クラウンが赤信号で停まると、後部座席に座る恰幅の良い男が自らのお抱え運転手に、唐突に告げた。
「お前は今日で、クビだ」
イライラした言葉の主は、次期総理大臣と言われる田宮郷太郎(たみや・ごうたろう)。赤坂の料亭で会食を終わらせ、麹町の自宅へ戻る途中だった。
「かしこまりました」
そう即答したのは、運転手の鈴木明。
その素っ気ない返事に、田宮は大げさなため息をつくと、バックミラー越しに彼を睨んだ。