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黒塗りの扉 Vol.1

黒塗りの扉:アッパー層の闇と秘密で稼ぐ。『お抱え運転手』が見せる、もう1つの裏の顔

「…運転手さん…なんて言うか、なんか…色っぽくない?」

女は戸惑いながら、言葉を並べた。だが、その言葉を特に気にする様子もなく、鈴木はにっこりと微笑んで言った。

「もし宜しければ、車内のお写真をお撮りになりますか?」

思わぬ提案に、3人が沸きたつ。

鈴木がスモークの貼られた後部座席の扉を開けると、それが歓声に変わった。


「どうぞ。車に興味のある方には見せて差し上げるように、と主人に言われていますから」

動画、動画もいいですか?これインスタにアップしてもいいの? ああ、やばいやばいやばい、やっぱ環さんってすげーいい人なんだなあー。

やがて、ひとしきり興奮し尽くした若者たちの熱が収まり、シャッター音が止まった。そのタイミングを待っていた鈴木が彼らに質問する。

「表参道の駅に行かれるんですか?」

「そう、終電に乗ろうと思って…うわ、時間やばいよ?歩いたら間に合わないじゃん」

携帯の時間を見て焦った女に、鈴木が提案する。

「それなら、タクシーを使ってください」

えっ?と3人が顔を見合わせた時、空車のタクシーがタイミングよく通りがかり、鈴木がそれを止めた。後部座席のドアが開くと、そのドアの脇に立ち、真っ白な右手を女に向かって差し出し、言った。

「レディファーストで、どうぞこちらへ」

その白い手袋に引き寄せられるように、フラフラとタクシーに近づいてきた女を、後部座席に優しく誘導する。

その後、男2人も車内に促すと運転手にお金を渡し、「表参道駅まで」と告げてタクシーを発進させた。

動き出した車の中で、今、1万円渡してくれたよな、すげえ、やべえ、と、また大興奮を始めた男2人をよそに、女はサイドミラーから目が離せなかった。

小さくなっていくのに、まだ頭を下げたままの運転手。

さっき、彼に手を引かれタクシーに乗り込んだ時、間近で見上げたその白い顔の中で、唇だけが妙に赤く見えてドキドキした。その胸の鼓動が治らぬまま、女はふと思った。

「あれ…?あの人、何で私たちが表参道に行くって分かったんだろう」

だが、すぐに男たちの興奮に巻き込まれると、その疑問は忘れてしまった。

こうして自分たちが、鈴木に体よく追い払われたのだと、気がつくこともないまま。

その夜のことは、ただ、環利一の好感度が上がった出来事として、3人のSNSにアップされることになった。



そのわずか、1週間前。

黒塗りの公用車クラウンが赤信号で停まると、後部座席に座る恰幅の良い男が自らのお抱え運転手に、唐突に告げた。

「お前は今日で、クビだ」

イライラした言葉の主は、次期総理大臣と言われる田宮郷太郎(たみや・ごうたろう)。赤坂の料亭で会食を終わらせ、麹町の自宅へ戻る途中だった。

「かしこまりました」

そう即答したのは、運転手の鈴木明。

その素っ気ない返事に、田宮は大げさなため息をつくと、バックミラー越しに彼を睨んだ。

黒塗りの扉

東京のアッパー層を知り尽くし、その秘密を握る男がいる。

その男とは…大企業の重役でも、財界の重鎮でもなく、彼らの一番近くにいる『お抱え運転手』である。

一見、自らの意思などなく雇い主に望まれるまま、ただ黙々と目的地へ向かっているように見える運転手が。

もしも…雇い主とその家族の運命を動かし、人生を狂わせるために近づいているのだとしたら?

これは、上流階級の光と闇を知り尽くし支配する、得体の知れない運転手の物語。

ようこそ…黒塗りの扉の、その奥の…闇の世界へ。

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