SPECIAL TALK Vol.47

~子どもたちが幸せに暮らせる国になるように、自分の何が生かせるかを考え抜く~

子育てと仕事の両立。苦労から得たものは?

金丸:その後、日本総合研究所に転職されますが、何がきっかけだったのですか?

翁:日銀で8年勤め、30歳を過ぎてちょうど日本総研がエコノミストの募集をしていたんです。子どももほしいと思っていましたが、当時の日銀では、仕事と子育ての両立はちょっと厳しいなと感じていたので、長い目で見て転職しようと。

金丸:ということは、そのときすでに結婚されていたんですね。

翁:はい、京都に勤務していた27歳のときに。

金丸:旦那さんはどんな方ですか?

翁:日銀の先輩です。当時は日銀のなかで結婚することは少なかったですし、勤務先が違っていたので、新婚から別居という状態でした(笑)。

金丸:先進的ですね(笑)。ところで転職したとはいえ、仕事と子育ての両立は大変ではありませんでしたか?

翁:子どもが2歳になるくらいまでは、大変でした。保育園に行くたびに病気をもらってきて、しょっちゅう病院に行っていました。入院も2回経験し、その付き添いでへとへとになりながら仕事に行ったりしていましたね。でもやっぱり楽しかったですよ、子育ては。子どもはかわいいですからね(笑)。

金丸:会社のサポートはありましたか?

翁:当時としては珍しく、日本総合研究所は裁量労働制でした。勤務時間ではなく、仕事の成果で評価してくれたので、ものすごく助かりました。

金丸:なるほど。いろいろ言われている裁量労働制ですが、仕事と子育てを両立させようと思うと悪くない。

翁:裁量労働制と保育園の存在は、本当にありがたかったです。はじめは近くに住む母に子育てを手伝ってもらおうなんて考えていたのですが、見事にそのあてがはずれてしまって。実は子どもが2歳のときに、母も入院してしまったんです。

金丸:それはまた大変な……。

翁:子どもも入院中の母も一人暮らしの父も、私が支えることになりました。一時は父も入院し、両親のサポートをしながら子どもを保育園に預け、日本総合研究所やコミットしていた政府の仕事もするという状況で。

金丸:そんな過酷な状況で、よくめげずに仕事を続けられましたね。翁さんの支えとなったものは、何だったのでしょうか?

翁:日本総合研究所の上司をはじめ、周りの方々が我慢してずっと見守ってくださったお陰です。今でも心から感謝しています。

金丸:周りの理解と協力が、とても大きかったと。

翁:その点恵まれていたと思います。保育園の存在も本当にありがたかったです。こういう実体験があるからこそ、少しでも女性が働きやすいように、社会全体で子育てや介護をサポートする環境が整えばよいと思います。そのためにできることはしていきたいと思っています。

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