店に入る前、スマートフォンのインカメラで身だしなみを確認する。
香は先週30歳になったが、その美貌が衰えることはない。
切れ長の大きな目にきゅっと上がった口角は、ハーフに間違えられるくらいの華やかな顔立ちだ。ほっそりした手足は、何のトレーニングをしなくても無駄な脂肪がつくことはない。
その細い美脚が存分に際立つ、真っ赤なハイヒールを履いてきた。赤い口紅に赤いハイヒール。健康的な雰囲気の香は、そうした恰好が嫌みなく似合う。
香はこれまでの人生において、男性に困ったことはない。
特に、女子大生時代にミカと知り合ってからは最強だった。清楚な雰囲気のミカといると、お互いの美貌がいっそう際立つ。港区おじさんのような男性たちは競い合うように、2人をレストランやパーティーに連れ出した。
しかしそのミカが、こんなことを最近言い出している。
「もうそろそろこの生活を卒業しなきゃ」
何でもミカの周囲の友人たちは、30歳を目前に次々と「港区女子」を卒業しているらしい。特に共通の友人である由美という女性は、エステサロンを開業したらしく、PR会社で働くミカはその話を聞き、興味津々だ。
しかし香は、そうした話に一切興味はない。
付き合って3年になる純一とは、元麻布にあるマンションで同棲中だ。彼は、都内にイタリアンレストランを3店舗経営している。
純一は10歳年上ということもあり、同年代の男の子に期待できないような経験をたくさんさせてくれる。美味しいレストランや海外旅行、行く先々で紹介される仲間たち。純一と付き合ってから、毎日が刺激的だった。
また、レストランを経営しているだけあってワインに詳しく、香もその影響でワインの味はかなり分かるようになった。
香はしばらく、綿菓子のようにふわふわした、この港区での生活を捨てる気はない。
◆
香が店に着いたとき、ミカたちはかなり盛り上がっているようだった。
「紹介するね、友だちの香。外資系のジュエリーブランドでPRをしているの。こちら、健人さんと将生さん。私たちと、同い年よ」
香は目の前に座っていた、将生というスーツ姿の男を思わず凝視した。
その男は驚くほど小さな顔に、色素の薄い目と形の良い鼻、そして綺麗に赤みがかった唇が行儀よく配置されており、見惚れるほどの美青年だったのだ。
しかし将生というその男は、その形の良い唇からこんな言葉を吐きだした。
「カオルって男の子みたいな名前だね。どういう字書くの?」
初対面なのにずいぶん慣れ慣れしく、失礼な男だと思った。
「香りがひろがる、の“香”です」
その不躾な質問に、香はにこやかに答えた。
すると将生の隣に座っていた、白ニットにジーンズという、今どきの経営者らしいラフな装いをした健人という男が、慌てて香をフォローする。
「将生、何言ってるんだよ…!それにしてもさすがミカちゃんのお友だち。モデルさんみたいだね」
「そうなんです♡私の友だちで一番可愛い子連れてきましたから」
ミカもそれに応じて慌てて話題を変える。香は気を取り直して、飲み物を頼むことにした。男性2人はビールを飲んでいたが、香は気にせず赤ワインを頼んだ。