その日以来、香はちょくちょくビールを買うようになった。「〈香る〉エール」は飲み口がフルーティで、ワインのように料理と合わせて愉しむのが、最近のお気に入りだ。
「赤ワインも白ワインも美味しいけど、ビールも美味しいわね」
香のその言葉に、純一は何も言わずニコニコしているだけだ。次第に、香を誘わず一人でワインを飲むようになった。
かつて純一は、こんなことをよく口にしていた。
「香がどんどんワインに詳しくなっていくのが、楽しいよ」
経済的に余裕がある男性の常で、純一も香がワインの知識をつけるのを面白がっていた。最近はきっと“張りがない”と思っていることだろう。
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今日、純一の帰りが遅いようだったので、一人リビングで将生のInstagramを覗いていた。
あの日以来、将生とは連絡を取っていないが、こうして時間ができると何かと彼のInstagramをチェックしてしまう。多くは、男友達と飲んでいる様子や、食べ物の写真が大半だ。
そしてごくたまに、里奈からのコメントがあり、そこから里奈のInstagramも覗いてしまう。
里奈のInstagramは、ホテルのスイートルームを貸し切りにした女子会や最新のレストランなどの写真が散りばめられており、典型的な「港区女子、26歳」の生活がうかがい知れる。
30歳になった香がこうした写真をアップするのは「何となください」と思ってしまうが、里奈のような若さ溢れる港区女子がやると嫌みなく見える。
「もうそろそろこの生活を卒業しなきゃ」
そんなミカの言葉が、ふと頭によぎる。
女子大生時代からずっと港区界隈で遊んできて、純一と付き合ってもう3年になる。与えられるばかりの生活を送っていると、“純一と結婚”という実感も湧かないし、人生における「次のステップ」はぼんやりしたままだ。
ミカと同じように、香もこの生活に「飽きて」いるのかもしれない。何の疑問もなく港区での生活を謳歌している里奈を見て、改めて実感する。
そんなことを考えていたら、一通のLINEが届いた。
―香、最近遊んでる?六本木で飲んでるんだけど、来ない?
その誘いは、現役港区女子からの誘いだった。
純一の帰りも最近遅いし、こうして答えのないことをぐるぐると考え続けるのは、香は嫌いだった。
―行く!
そう返信して、香はいつも通り真っ赤なリップを塗ってヒールを履き、六本木に向かった。
金曜日の夜、大江戸線の六本木駅を出た交差点付近で、誰かしら知り合いと会ってしまう、というのは港区で遊んでいる女の宿命だ。
この日もいつもの癖で「誰かと会うかな」と辺りを見渡していると、見覚えのある男の顔があった。
―あれ…?将生君?
声をかけようと思った瞬間、彼の隣に一人の女性が見えた。オフショルダーの白いブラウスに、ミントグリーンのふんわりとしたスカート。高めのポニーテールが、彼女の瑞々しい若さを際立たせている。
その女性は、里奈だった。
「香?どうしたの?」
香が呆然としていると、女友達が不思議そうな顔で聞いてきた。
その日の飲み会の相手は、アパレルメーカーの社長たちだった。いつにも増して賑やかな夜だったが、香は気が気ではなく、目の前の全ての何もかもが、すっかり嫌になってしまう気がした。