SPECIAL TALK Vol.33

【東カレSPECIAL TALK】株式会社フォーシーズ 会長兼CEO:淺野秀則
~どんな時代にも必ずチャンスはある。ポジティブにぶつかっていくべき~

2020年のニューリーダーたちに告ぐ

1987年、海外チェーンが進出し始めていた日本の宅配ピザ市場に後発で参入した「ピザーラ」は、1号店のオープンから10年でライバルを抜き去り、現在も圧倒的な首位を独走している。

しかし、創業者である株式会社フォーシーズ淺野秀則会長の人生は、ピザーラの快進撃とは対照的に、失敗と挫折の連続だった。

数々の苦難に見舞われながらも決してあきらめず、挑戦を続けてきた淺野氏の歩みをたどると、成功者を目指すために身につけるべき心構えが見えてくる。

淺野秀則氏 株式会社フォーシーズ会長兼CEO

1953年生まれ。紙器メーカーの3代目として生まれ、慶應義塾大学商学部卒業。さまざまな事業に挑戦するなかでピザのデリバリーサービス「ピザーラ」を生み出し、国内宅配ピザ市場において売上、店舗数ともにNo.1の地位へと育て上げる。

金丸:本日はお忙しいなか、ありがとうございます。

淺野:いえいえ。お招きいただき、ありがとうございます。

金丸:今回は淺野さんのお店ですから、私のほうこそ光栄です。

淺野:ぜひ『シャトーレストランジョエル・ロブション』のモダンフレンチを堪能してくださいね。

金丸:非常に楽しみです。淺野さんが会長を務めるフォーシーズは、業界トップの宅配ピザ「ピザーラ」をはじめ、串かつ、イタリアン、寿司、そしてこのロブションまで、バラエティに富んだ展開をされています。現在、どれだけの業態を抱えていらっしゃるんですか?

淺野:全部で56業態です。

金丸:すごい数ですね。淺野さんと私は歳が同じで、20年以上も前から旧知の仲です。今日はいかにして一大飲食グループを築き上げたのか、これまで伺えなかったお話も存分に聞かせてください。早速ですが、お生まれはどちらですか?

淺野:東京の目白です。もともと祖父が紙器の会社をしていて、私はそこの3代目として生まれました。

金丸:ということは、裕福でいらっしゃった?

淺野:絵に描いたようなぼんぼんですよ(笑)。家にはお手伝いさんがいて外車が2〜3台あって、小学校は慶應義塾幼稚舎に通って、みたいな。

金丸:まさに御曹司ですね。勉強は得意だったんですか?

淺野:それが勉強をした覚えがないんです。算数はつるかめ算で挫折。どうして鶴と亀が出てくるのか、わけがわからなくて(笑)。そもそも「おまえは3代目だから勉強しなくていい」と言われてたし。

金丸:ええっ、勉強しなくていいって?!

淺野:要は、勉強するよりも友達を作れと。しかも年上は要らない、子分をいっぱい作れ。そう言われて育ちました。

金丸:なるほど。リーダーの素質を養わせたかったんですね。

淺野:でも小学5年生のとき、うちの隣にすごい家族が引っ越してきたんです。レストランを経営している華僑の一家で、家は1,000坪近くある豪邸で、運転手付きのベンツがあって。うちもそれなりに裕福だったけど、隣は桁違い。「こんなにお金持ちになるなんて、飲食業ってすごいんだな」って。

金丸:小学生のときに(笑)。

淺野:もう本当にすごくって。その一家のインターナショナルスクールに通う3姉妹と付き合い始めてから、いろいろと世界が広がりましたね。外食に連れていってもらったのも貴重な経験でした。その頃は外食といっても豪華な店はほとんどなくて、私も父に連れられて、そば屋に行ったことぐらいしかなかった。そんな時代に、帝国ホテルのレインボーラウンジに連れていかれて、生まれて初めてバイキングを食べました。それに3姉妹とは、ダンスパーティーを。

金丸:ダンスパーティー?! 何歳のときですか?

淺野:13歳ぐらいかな。それも毎週のように。

金丸:すごいですね。

淺野:彼女たちの情報の感度は抜群でした(笑)。「すごいのがあるから」といって、ビートルズを聴かせてくれたのも彼女たち。食、音楽、文化、とにかくいろいろな影響を受けて、西洋文化に憧れるきっかけになりました。彼女たちがいなければ、私も普通に暮らしていたんじゃないかな。

金丸:鹿児島にいた私とは全然違いますね。うらやましい(笑)。

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