SPECIAL TALK Vol.33

~どんな時代にも必ずチャンスはある。ポジティブにぶつかっていくべき~

貧乏生活がハングリー精神を生んだ

金丸:淺野さんはお金持ちからいきなり貧乏生活に転落して、しかもその振り幅が大きいじゃないですか。当時を振り返ったとき、貧乏でよかったなとポジティブに思えることは、何かありましたか?

淺野:そうですね、やはりハングリーになれたことでしょうか。何かチャンスがないかって、常にアンテナを立ててました。

金丸:お金がないと嘆くより、まずはアンテナを立てなきゃダメなんですね。

淺野:私の場合、金持ちと貧乏の両方を経験したことがよかった。貧乏だとやっぱり、お金持ちのほうがいい、お金持ちになりたいと思いましたから。

金丸:我々が大学を卒業する頃って、まだオイルショックを引きずっていて就職も大変でしたけど、淺野さんは企業に入るか、自分で事業をやるかで迷ったりしなかったんですか?

淺野:実は一旦就職したんです。採用情報の雑誌を見ていたら、大日産業というベンチャー企業を見つけて面白そうだなと。で、入社したものの3ヵ月で辞めました。

金丸:また早いですね(笑)。

淺野:会社に入って、はっきりしたんですよ。自分は人に使われるのは肌に合わない。命令されるのが、すごく嫌なんだなって。

金丸:それは淺野さんのお話を聞いていれば、私にもわかりますよ(笑)。

淺野:そうですか(笑)。それでやっぱり自分で会社をやろうと、学生時代に作った旅行代理店を事業化しました。ただ学生が相手だと、春休みとか夏休みとかの長期休暇中に集団で旅行するので、どうしても暇な時期ができてしまう。そこで、学生がいつでも集まれるようなクラブハウスを作ることにしたんです。うちの旅行に参加した人だけが利用できて、そこで飲食もやろうと。

金丸:ついに、飲食業に乗り出したんですね。

淺野:はい。私が初めて手掛けた飲食店でした。

飲食店オープンから10日で300針の大やけど

金丸:そのクラブハウスは順調にいったんですか?

淺野:それがオープンして10日目に、火事を起こしてしまって。ふと見ると、揚げ物をしていた鍋から火が出てる。その瞬間、私が何を考えたかわかります?

金丸:いや、なんですか?

淺野:「火災保険に入るの忘れてた」(笑)。

金丸:笑いごとじゃないでしょう(笑)。

淺野:店内にはお客さんもいっぱいいたし、自分の店だし、なんとか火を消そうと必死でした。奇跡的に消火はできたんですが、私自身が大やけどを負ってしまって。計300針、皮膚移植も必要で……。

金丸:それほどのやけどだと、すぐに動けませんね。

淺野:1年半ぐらいは、包帯ぐるぐる巻きの状態で療養生活でした。命懸けで守った店も、シャッターを開けると1日1万5,000円の赤字が出る始末。維持できるはずもなく、泣く泣く閉店です。

金丸:これから自分の事業をやっていこうというときに、挫折を経験したわけですね。

淺野:淺野家を再興すると誓ったのに、大やけどを負って動けなくなっちゃって。そんな私を見て、母はまた、自分で商売をやろうと奮起したんです。

手を出した事業は失敗に継ぐ失敗

淺野:当時大人気だったピンクレディーが、あるテレビ番組で「私たち、烏龍茶を飲んでやせました」という話をしたんです。それをたまたま見ていた母が「秀則、これよ」と。

金丸:なるほど。次は烏龍茶の販売ですね。まだ誰も注目していなかった頃だから、今度は成功したんじゃないんですか?

淺野:とんでもない。大失敗です。ほとんど売れずに在庫の山。借金返済のため、ついに家まで手放すことになりました。そんなとき、母が乳がんを患っていることがわかり、医者からは余命3ヵ月と宣告されました。父が倒れ、私は大やけど、母はがん。もうどん底です。

金丸:まさに……。

淺野:次々に不幸に見舞われて、財産もどんどん失って。でも唯一残っていたのが、私のこの性格。いつでも陽転思考、楽天家だったから、「きっとこれ以下はないな。とにかく何かやろう」と考えることができた。そう思えると、人間って強いですよ。で、次に始めたのがラーメン屋。

金丸:今度はラーメン屋ですか!

淺野:ラーメン屋ならそこまで稼げなくても、食べ物には困らないし、家族が餓死することもない。当時はいまほどラーメン屋の数も多くなかったし、毎日がむしゃらに働きましたね。そしたら月に40〜50万ぐらい稼げるようになって、ようやくこれは成功したなと。ただ、ふと思うことがあって。金丸さん、ラーメン屋の経験は?

金丸:あるわけないでしょう(笑)。

淺野:ですよね(笑)。ラーメン屋で何が一番大変かって、スープを取ったあとのガラを捨てる作業なんです。夜中の3時に店を閉めて、40キロぐらいあるガラを捨てにいく。これがすごい重いし、すごく熱い。脂まみれになりながら作業していると、「ちょっと待てよ。俺は淺野家を再興するんじゃなかったのか。こんなふうにラーメン屋をやって、毎日ガラを捨てにいって、これで目的が果たせるのか?!」。

金丸:土砂降りの中、車を押したあのときと同じですね。

淺野:まさに。それに母にできる限りの親孝行がしたくて、自分でラーメン屋をやるのはやめて、月30万で貸し出すことにしたんです。母が健康食品の事業をやりたいと言えば手伝って、とにかくいろいろなことをやりましたね。

金丸:お母様も本当にバイタリティのある方ですよね。

淺野:うちの家族で母が一番好奇心旺盛でした。「人間、やろうと思えばできないことはない」というのが口癖で。

金丸:どんな逆境でも明るく、めげないファミリーなんですね。

淺野:はい、そう簡単にはめげません(笑)。

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