水天宮からの帰り道、純が携帯を取り出し「蕎麦が食べたい」と言って人形町に向かって歩き出した。水天宮から人形町通りを歩き、甘酒横町の交差点を右に曲がる。
「なんか小旅行に来た気分だな」
そう言って純は珍しそうに辺りを見回していたが、浅草で生れ育った祐実には、下町の面影残る人形町の街並はひどく懐かしいものに思えた。
若者から老夫婦まで色んな世代の人がいて、雑然と並ぶ文字と色があって、砂糖と醤油の甘じょっぱい匂いが立ち込めている。そんな、幼いころから慣れ親しんでいた光景が広がっていた。
純が連れて行ってくれたのは、『浜町藪そば』というお蕎麦屋さんだった。店内は清潔に整えられ、白い三角巾をかぶった女性がにこにこと出迎えてくれた。
板わさとせいろを二枚、それに加えて純は冷酒も頼んだ。薄い色の細打ち麺は、驚くほど美味しい。この日は夏のように暑かったので、喉越しのよい麺はつるつるといくらでも入りそうだった。
純はあっという間に蕎麦を食べ終え、二枚目のせいろを注文したあとこう言った。
「早く赤ちゃんできるといいなぁ」
屈託なく笑う彼に、祐実は曖昧に微笑んだ。
店を出た後、甘酒横町を少し歩き、『柳屋』の鯛焼きを2人で半分こして、帰りは『人形町 今半』の隣にある総菜屋に寄って帰った。すっきりしない気持ちとは反対に、その日はとても楽しかった。
人形町から日比谷線に乗り、有楽町線に乗り換えて豊洲に帰る。
豊洲駅の地下の改札から外に出た途端、見慣れたその景色に安心感を覚えながらも、祐実は何とも言えない気分だった。
豊洲の街並には、相変わらず無駄な色も匂いもない。
しかしその分余計なことを考えることなく、人生のスタンプラリーを先に進められるのだろう。今日しっかりお参りしたから、“次のスタンプ”もすぐ手に入れられるはずだ。
改札から出てすぐに飛び込んできた、やけに青くて広い空の色を、祐実は今でもはっきりと覚えている。
◆
それから1ヶ月後。
その日朝起きると、体が鉛のように重く感じた。
―あれ、そう言えば今月まだだっけ。
女性の毎月のサインをいつも記録している、うさぎが目印のアプリを開き、記録を確認する。
毎月規則しく来るそれは、今月はもう1週間ほど遅れていた。
―まさか…?
心臓のどくりと大きく鳴る音が、体中を支配した。
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祐実、ついに妊娠?
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この記事へのコメント
楽しいぞー