SPECIAL TALK Vol.29

~“自分はどのように生きたいか”を真剣に考えるには知らない世界に自分をさらし、経験し、考えることが大切~

ブータンで首相フェローにゼロからのスタートに戸惑う

金丸:ところで、ブータンについて少しは知っていたのですか?

御手洗:いえいえ。高校のときに勉強した程度です。

金丸:不安はありませんでしたか?

御手洗:それよりも、行きたいという気持ちが勝ちました。話もトントン拍子で進み、すぐにブータンに発ちました。

金丸:下見に行くとかもないんですね(笑)。

御手洗:すぐに来てくれと言われて。でもブータンは、日本とはいろんなことが違うので、戸惑うこともありました。私が空港に着いたときも誰も迎えがいなくて……。担当者に電話をかけたら、「あー今日だったか。ごめん、ごめん!」という調子で(笑)。

金丸:ゆるいですね(笑)。

御手洗:それで職場に行き、どんな仕事を頼まれるんだろうと思っていたら、「で、何をしてくれるの?」と言われました(笑)。最初の仕事は、自分がなにをすれば一番ブータンの役に立てるのか考えて、提案すること。本当にゼロからのスタートでしたね。

金丸:そのとき25歳ですよね。向こうもビックリしたでしょう。こんな若い女性がきたって。

御手洗:そうですね。でも当時のブータンには、新しいことにもどんどん挑戦する姿勢がありました。きっと日本も明治維新直後は、こんな感じだったんじゃないかと。

金丸:ブータンでは、どのような仕事を?

御手洗:私のミッションは、首相フェローとして産業育成に従事し、国を経済的に自立させることでした。産業育成の柱はふたつ。水力発電と観光産業。水力発電は見通しが立っていたので、私は観光産業をいかに成長させるかということに注力しました。

金丸:一国の産業計画など、なかなかできる仕事ではありません。

御手洗:当時1万4000人だった観光客を10万人に増やすという目標があり、そこに至るまでの道筋を立てることが、私の仕事でした。

金丸:様々な価値観に触れ合ってきた御手洗さんでも、ブータンの方々に馴染むのは大変だったのではないですか?

御手洗:まずはブータンの人に信頼されないと、何もできません。給料はブータン人の公務員と同じ水準にしてもらい、服装も、同僚と同じようにブータンの民族衣装を着ていました。ごはんも、毎日ブータン料理。やっぱりそうすると、みんなよろこんでくれるんです。まずは仲間に入れてもらうところから始めました。

金丸:相手の懐に飛び込むというのは、非常に大切なことですよね。

御手洗:そうですね。その上で「ブータンのためには何がよいか」をずっと考えて、行動していました。観光産業の既得権益を切るような仕事もしていたので、正直大変なこともありました。でも、民主主義の始まったばかりの国で、このような仕事ができたことは、とても勉強になりました。結果も出せたので、よかったです。

金丸:ブータンには何年ぐらいいたのですか?

御手洗:1年ちょっとです。1年の契約が終わった時点で、更新せず帰国しました。その年の3月に東日本大震災があって。いまは日本人として、日本の東北の復興に力を使うべきときじゃないかと思って、帰国することにしたんです。

金丸:帰国してまず何をしたんですか?

御手洗:マッキンゼーに戻り、東北復興支援のプロジェクトをやっていました。

金丸:具体的には、どのような仕事を?

御手洗:ある自治体の、産業復興戦略にかかわる仕事です。詳細は、守秘義務もあってあまり言えないんですけど……。

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