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港区女子の原点 Vol.1

港区女子の原点:彼氏のランクで引き上げられる、女の価値と港区カースト

彼氏のランクが自分のランクになる港区カースト制度


美希の人生を変えたのは、ある出会いだった。

「当時、港区を牛耳っていた里子さんという女性に呼ばれて行った食事会が、今思えば全ての始まりでしたね。そこで出会ったのが、有名なカメラマンの俊哉でした。」

美希より20歳も上の俊哉は、数々のCMを手がけ、有名女性誌の表紙も撮影してしていた。その交友関係は非常に華やかで、有名人の知り合いも多く、ブルガリやグッチのパーティーには必ず呼ばれる、所謂“Aリスト”に入っていた。自分では決して体験することができないような世界を、俊哉は美希に見せてくれた。

有名人の彼女という肩書きを手に入れ、華やかな世界に足を踏み込んだ美希は、港区女子のカースト制度の中でも上位に食い込んで行った。

「彼氏のステータスが、自分のステータスになる。その法則を肌で感じたんです。少し上から目線のお姉様方も、彼氏の名前を出すとたじろぎ、そして媚を私に売ってくる。それが面白くて。」

そう言いながら笑う美希は、冷たい目をしていた。自分より年上で、偉そうな女性が手の平を返したように態度を変えるのが可笑しくて仕方なかったそうだ。

「でも、それがダメだったんです。俊哉のお陰なのに、まるで自分が偉くなったような気分になってしまって。今振り返ると、思い出すだけでも恥ずかしいような自意識過剰時代でしたね。」


「またアッピア?もう飽きたんだけど」


俊哉と付き合いだして1年が経ち、当時23歳だった美希はほぼ毎日俊哉に会っていたという。そして俊哉が昔から常連だった『アッピア』に、週3回ペースで通っていた。

「もちろん、自分で支払ったことなんてありません。値段も知らなければ、お店の歴史も知らない。通い過ぎて、“またアッピア?もう飽きたんだけど”と偉そうに言ってました。」

そう話す美希だが、当時財布を持って出かけたことがなかったそうだ。食事は男性が払って当たり前、タクシー代も貰って当たり前。1円でも払わせようとした男子は連絡先を全て消し、二度とコンタクトを取らないと決めていた。

そんな美希の勘違いは日に日に酷くなっていき、最後は俊哉が手に負えないほどになってしまった。旅行はビジネスクラス以上でないと行かない、行くレストランは一流店のみ。23歳とは思えない生活を覚えてしまった美希は、俊哉では満足できなくなり、他の男性に走った。

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港区女子の原点

港区女子。

彼女たちが、得体の知れない存在であることは、東カレ読者であれば気づいている。

華やかで、顔が広く、有名人とのコネクションも豊富。夜な夜な西麻布界隈に繰り出し、そこまで稼げる仕事をしているようには見えないが、なぜか煌びやかな生活を送っている印象が強い。

遊び場同様、住まいも港区。麻布、六本木、広尾、白金、そして芝。とても年収500万円で住めるようなエリアではない。

ベールに包まれたその生態を解明すると共に、彼女たちは“なぜ港区女子になった”のか、その原点を紹介する。

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