大手総合商社。役員まで昇りつめるのは、同期200人の中で2~3名と言われる中、100分の1の椅子を目指す男がいた。その名はタカハシ。
これからお話しするのは、『東京人生ゲーム』で拓哉と違い、地味で堅実な人生を送ってきたタカハシが、大手総合商社での熾烈な競争を勝ち抜きながら“最高峰”の地位である役員を目指して昇りつめていく物語です。
vol.1:38歳。ハードなコンゴ駐在と引き換えで見えてきた"最高峰"への道程
vol.2:42歳。出世街道まっしぐらのはずが……「勝つまでやめなければ決して負けない」は真実か?
2度目の海外赴任が決まりました。勤務地は・・・
前回、子会社に出向した話はしましたっけ?建設機械系の子会社で本体さながらにがむしゃらに働き、自分でいうのもなんですが、くさらずに頑張って働きましたよ。
最初は、出向先の会社に馴染むまで時間がかかりました。ほら、僕はもともと根暗な人間ですからね。社会経験を積んで、いい年してますけど人間の本質は、そう簡単には変わりませんから。
いっそ海外赴任に行く方が、潔く自分を解放できると言うか……。日本社会は時に陰湿。一度の失敗が命取りになることもありますからね。
まあ、そんな感じで僕なりに必死でやっていました。
そしたら思いがけず、嬉しいニュースが飛び込んできたんです。
コンゴ駐在時に仕掛けていた案件が飛躍的に成長し、大きな金を生んだんです。コンゴで開拓した自動車の販路が、アフリカ中部からじわじわアフリカ全土へと広がり、他社に圧倒的な差をつけることができました。
それがきっかけで本体に呼び戻され、念願の部長の椅子を掴みました。
でも実はこの昇進、僕の実績だけじゃなかったようなんです。
大企業になればなるほど、嫉妬やしがらみが多くなる。僕がそういったものにいかに翻弄されたか、ご存知ですよね?でもそのしがらみに助けられたんです。
何かって?学閥です。
僕は早稲田出身ですが、僕が勤める商社は圧倒的に慶應大卒が多い。そう、あの拓哉もまさにそうでした。歴代の社長や役員に名前を連ねているのも、5割が慶應出身者です。次に多いのが東大。僕の早稲田は3番目です。
同じ大学の後輩を可愛がりたくなる気持ちは、もちろん十分わかりますよ。それに慶應の人たちって「慶應」が大好きで、妙なプライドも持っているんですよね。あ、あくまで僕のイメージですよ?母校が大好きだからこそ、仲間意識もより強固になる。そのせいで、ただでさえ多い慶應卒の者が幅を利かせ、学閥意識がなくならない。
でも今回僕に出された内示には、早稲田出身の役員が絡んでいるようなんです。もちろんコンゴでの功績があった上で、ですよ。
正直、学閥なんてなくなればいいと思っていましたが、背に腹は代えられんと言いますか、まあ素直に喜びました。
よく柔道の世界大会なんかで、相手が怪我している右足は狙わずに戦ったことを美談のように語ったりしますよね。それはもちろん美しいことだと思いますが、勝つためならそこを狙うのが、勝負なんじゃないでしょうか?
何事もうまく利用する。それくらい割り切って腹を決めないと、上にはたどり着けない。
海千山千でなければ、優秀な人間の中からのし上がれませんからね。
そうして部長の椅子を得て数年、実直に仕事と向き合ってきました。そして今日、新たな内示が出たんです。
内容は、2度目の駐在でした。今回は遂に憧れのヨーロッパ!
ドイツ・デュッセルドルフにある海底送電インフラ事業を進めている現地法人へ、社長として赴任することになったんです。