大手総合商社。役員まで昇りつめるのは、同期200人の中で2~3名と言われる中、100分の1の椅子を目指す男がいた。その名はタカハシ。
これからお話しするのは、『東京人生ゲーム』で拓哉と違い、地味で堅実な人生を送ってきたタカハシが、大手総合商社での熾烈な競争を勝ち抜きながら“最高峰”の地位である役員を目指して昇り詰めていく物語です。
拓哉、お前はあっさり会社を辞めたよな
拓哉が退社したのを知ったのは35歳の時でした。
大手商社の看板を捨てて、ベンチャー起業のCOOという、意味不明で別次元の称号を手に入れると聞いた時は、会社の出世競争において僕に負けていたはずの拓哉が、まるで、僕のはるか上の人にスキップしてしまったような気がして、軽い敗北感と焦燥感を覚えました。
正直、「ふざけるな」と思いましたね。
努力に努力を重ねた結果、32歳の時に同期で一番早く課長代理に昇進し、僕とは違うキラキラした世界にどっぷりつかっていたあの拓哉より一足早く出世することができたのに、もうお前は違うステージに逃げるのかと。
え、僕ですか?
僕は拓哉が蹴ったコンゴに、33歳の時に赴任しました。
海外赴任。どんなハードな国でももちろん行きますよ
花形の欧州とは異なって、コンゴは“危険手当”が出るようなハードシップど真ん中な場所なので、同期の中であまり人気はありませんでしたが、“住めば都”とはよくいったもので、案外いいところでしたよ。
海外駐在は、上司に呼ばれて、まずは打診があるわけなんですが、なんとなく駐在の話だなっていうのは分かっていました。
赴任地がどこであったとしても基本的には受けようと思っていたんです。だって商社マンですよ?海外赴任はつきものです。それがどこだって、僕は行こうと思っていました。
だから、上司に呼ばれて、行き先がコンゴだと聞いた時も驚きはしませんでした。
コンゴみたいな途上国は、生活面やセキュリティ面を考えると確かにハードですけど、その分、胆力が試されるので、僕みたいに地道にコツコツと這い上がるタイプの人間が結果を出すにはうってつけだと思ったくらいです。
「拓哉、お前みたいにチャラついた奴には到底できないだろ」
なんて、むしろ腹の中では勝ち誇った気分でした。