SPECIAL TALK Vol.6

~教育変革こそが、世界と戦えるカギとなる~

親のありがたみを感じた、挫折だらけの留学体験

金丸:その後、ユナイテッド・ワールド・カレッジ(以下、UWC)のカナダ校に留学されるのですね。なぜ、カナダだったのでしょうか?

小林:高1の終わりの時期だと、公益財団法人AFS日本協会などのメジャーな交換留学はすべて締め切られ、唯一残っていたのが、UWCだったからです。当時、世界に7校あり、2年間全部無償で全寮制。「こんないい話はないんじゃない?」と思って受験したら、奨学金をいただくことができました。

金丸:試験は全部、英語だったのでしょうか?

小林:いえ、日本語でした。私が受験したときは、10名ぐらいの枠に対して300名の応募がありました。国内で筆記試験を行い、選ばれた生徒に対して全額奨学金を出して派遣するという仕組みです。これが世界中にあって、イタリアでは10名の枠に1,000名の応募があるそうです。そんな倍率ですから、すごくマインドや能力の高い人が集まります。

金丸:そこをくぐり抜けて、カナダに行かれたわけですが、向こうではどのような生活を送っていたのですか?

小林:とにかく挫折、挫折……。挫折だらけの日々でした。

金丸:具体的には、やはり言葉の部分ですか?

小林:彼氏ができない、友達ができない、英語がわからない……。もう、すべてでした。

金丸:彼氏がプライオリティで一番上だったとは(笑)。それをどのように克服したのですか?

小林:よく3ヵ月ぐらいすると耳が慣れてくると言いますよね。私もクリスマス休暇が明けた頃から、少しずつ言葉がわかるようになってきました。それまでは、本当に毎日泣いて暮らしていました。

金丸:ホームシックになって実家に電話することもありましたか?

小林:電話しましたね。

金丸:そのときのお父様とお母様の反応はどうだったんですか?

小林:「そんなにつらかったら帰ってこい」と言ってくれました。そのとき初めて「この人たちって、私の親なんだな」と、すごく感謝したんです。私がどんなに惨めになっても、逆境に立たされていても、どんなにダメな子でも、見捨てないでいてくれる、と。それまで、ひとりで生きてきたような顔をしてきたけど、両親という精神的な礎があったからこそ、自分は好き放題な人生を歩めていたんだと初めて気付きました。16歳のときでした。

金丸:それはいい経験でしたね。

小林:それまでは、本当に親の大切さに気付いていなくて……。この件があって、親にはすごく感謝するようになりました。

金丸:それに、ここで帰るわけにはいかない、と思ったのですね。

小林:はい。「覚悟しよう」と心に決めました。とてもじゃないけれど、帰るなんてかっこ悪くてできませんでした。

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